イギリスの小説家,劇作家。パリ生れ。幼くして両親を失い,カンタベリーのキングズ・スクール卒業後,ハイデルベルクに遊学,作家を志す。医学修業中,ロンドンの貧民街の女を描いた《ランベスのライザ》(1897)で文壇に登場。その後のいくつかの小説は世評に乏しく,劇作を試み《信義の人》《フレデリック夫人》(ともに1903)などを創作。1907年《フレデリック夫人》がロンドンで上演され大成功を収め,一躍流行の劇作家となった。彼の文筆生活は長いが,大作家として名声が定まったのは,第1次大戦中に執筆した半自伝的小説《人間の絆》(1915)が,次作のゴーギャンをモデルにしたといわれる作品,つまり中年の株式仲買人が突如画家を志し妻子を捨ててタヒチに赴く話を平凡人の私が語る《月と6ペンス》(1919)の大成功にともなって見直されてからである。以来,小説家としては,中国を舞台にした《五彩のベール》(1925),《お菓子とビール》(1930),《片隅の人生》(1932),《劇場》(1937),宗教的な人間と俗人の対立を描いた《剃刀の刃》(1944)などの長編のほかに,〈雨〉〈赤毛〉などの傑作を含む短編集《葉のそよぎ》(1921)の大成功以来,百数十編の短編を発表している。また劇作でも機知とユーモアに富む風俗喜劇《おえらがた》(1917初演),《ひとめぐり》(1921初演)などで非常な成功を収め,その創作力は晩年に至るまで衰えなかった。人生の価値への相対主義とそれを上回る熾烈(しれつ)な人間への好奇心が,巧みな小説技法,劇作術と相まって,彼を現代の第一級の通俗作家にした。日本でも翻訳が多い。1959年には来日している。
執筆者:鈴木 建三
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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