サザランド(読み)さざらんど(英語表記)Dame Joan Sutherland

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サザランド」の意味・わかりやすい解説

サザランド(Dame Joan Sutherland)
さざらんど
Dame Joan Sutherland
(1926―2010)

オーストラリアのソプラノ歌手。シドニー音楽院で学び、コンサート歌手としては1947年、オペラ歌手としては1951年にデビューを果たした。コンクール入賞を機にロンドンの王立音楽院に入学。翌年ロンドンのコベント・ガーデン王立歌劇場に登場したのを皮切りに、世界各地の主要歌劇場でベッリーニドニゼッティベルディグノーなどのオペラを歌う。1954年に指揮者リチャード・ボニングと結婚、夫の指揮やピアノ伴奏により、ベルカント・オペラの多くをレパートリーの核にすえ、またその唱法研究の成果を数多くレコードに録音している。とくにドニゼッティのオペラ『ランメルムーアのルチア』のルチア役は当り役とされる。1975年(昭和50)メトロポリタン歌劇場の日本公演に加わり初来日した。1979年デイムの称号を贈られた。

[美山良夫]

『ピエール・マリア・パオレッティ著、南条年章訳『スカラ座の人』(1988・音楽之友社)』『スカイラー・チェイピン著、ジェームズ・ダニエル・ラディチェス写真、藤井留美訳『わが友、すばらしきオペラの芸術家たち』(1998・フジテレビ出版)』『ヘレナ・マテオプーロス著、岡田好恵訳『ブラヴォー/ディーヴァ――オペラ歌手20人が語るその芸術と人生』(2000・アルファベータ)』『The Autobiography of Joan Sutherland ; A Prima Donna's Progress(1999, Regnery Publishing)』


サザランド(Earl Wilbur Sutherland)
さざらんど
Earl Wilbur Sutherland
(1915―1974)

アメリカの生化学者。カンザス州バーリンゲームに生まれる。1937年ウォッシュバーン大学を卒業後、ワシントン大学医学部に移り、1942年博士号を取得、第二次世界大戦中は陸軍で軍医を務めた。1945年ワシントン大学で薬学講師、1950年に生化学の助教授、1952年準教授に昇格した。1953年から1963年までウェスタン・リザーブ大学の薬学部長、1963年バンダービルド大学教授、1973年マイアミ大学教授になった。

 ワシントン大学でコリの指導で研究をスタートさせた。細胞のエネルギー源となるグリコーゲンの合成と分解のメカニズムを研究し、エピネフリンなどのホルモンとともに未知の物質が重要な役割を果たすことを発見し、その正体がサイクリック(環状)AMPであることを解明した。のちに、このサイクリックAMPは、生体内でのさまざまな調節現象に関与している重要な物質であることが明らかになった。1971年「ホルモンの作用機構に関する発見」によって、ノーベル医学生理学賞を受賞した。

[編集部 2018年8月21日]


サザランド(Graham Sutherland)
さざらんど
Graham Sutherland
(1903―1980)

イギリスの画家。ロンドンに生まれ、同地で没。現代イギリス絵画の先駆的地位を占める。ロンドンのゴールドスミス学校に学び、若いころは、ブレークパーマーの初期の作風の影響を受け、幻想的な作品が多い。虫や木の葉など、無名のものの生命を掘り起こすような作風である。第二次世界大戦中、従軍画家としてイタリアからドイツまで行き、破壊された建物などを記録すると同時に、ボルゴ・サンセポルクロのピエロ・デッラ・フランチェスカの『キリストの復活』に感銘を受け、やがて、コルマールイーゼンハイム祭壇画の磔刑(たっけい)に衝撃を受け、以後、「茨(いばら)」「荊冠(けいかん)」の連作が生まれ、キリストの磔刑図にとりかかる。1944年ノーサンプトンのセント・マシュー聖堂の『キリスト磔刑図』を代表作とみてよかろう。モームやチャーチルの肖像画も知られる。

[岡本謙次郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サザランド」の意味・わかりやすい解説

サザランド
Sutherland, Efua

[生]1924.6.27. イギリス領ゴールドコースト,ケープコースト
[没]1996.1.2.
ガーナの女性劇作家,詩人,児童文学作家。英語で執筆。ガーナで教員養成所を出たのちイギリスに留学,ケンブリッジのホマートン・カレッジで教育学を,ロンドン大学東洋アフリカ研究所で言語学を学んだ。1950年代初めに帰国,1954年にアメリカ黒人と結婚,数々の文化活動に参加し始めた。1957年ガーナ作家協会の設立に尽力,1959年文芸誌『オキエアメ』Okyeameを創刊。ロックフェラー財団とガーナ芸術評議会から援助を受けてガーナ大学に実験劇場ガーナ・ドラマ・スタジオを設立。アフリカ文学や演劇の調査研究,ガーナ大学の移動劇団クスム・アゴロンバ Kusum Agorombaの指導,多数のシナリオの執筆や上演,短編の発表などの活動を行なった。1960年代には『エドゥファ』Edufa(1967),3幕物の『フォリワ』Foriwa(1967)など,アフリカの伝統とヨーロッパ式の現代生活との衝突を扱った代表作が上演された。そのほか児童文学にも関心をもち,『ハゲタカ! ハゲタカ!』Vulture! Vulture!(1968),『タヒンタ』Tahinta(1968)などのリズム演劇,『アフリカの遊び時間』Playtime in Africa(1960),『道路づくり』The Roadmakers(1961)のような絵物語をつくった。(→アフリカ文学

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改訂新版 世界大百科事典 「サザランド」の意味・わかりやすい解説

サザランド
Graham Sutherland
生没年:1903-80

イギリスの画家。ロンドン生れ。少年期を地方で過ごし,ロンドンの美術学校を卒業。銅版画家として美術学校で教えるうち油絵に集中し,自然をみつめてイギリス風景画の伝統を体得する。1930年代にはシュルレアリスム展に参加し,ピカソの《ゲルニカ》に感動した。第2次大戦中は戦争記録画家としてイギリス各地やフランスに旅し,大戦末ノーサンプトンの教会にキリスト磔刑図を制作した(1946完成)。戦後は著名人(モーム,チャーチルなど)の肖像画のほか,彫刻,タピスリーも試み,F.ベーコンらに大きな影響を与えた。
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百科事典マイペディア 「サザランド」の意味・わかりやすい解説

サザランド

英国の画家。ロンドン生れ。シュルレアリスムの影響を受け,1930年代に水彩,グアッシュで特異な風景画の連作を試み,また1946年にはノーサンプトンのセント・マシュー教会に壁画《キリスト磔刑図》を描いた。モームチャーチルなどの肖像画でも知られ,F.ベーコンらに影響を与えた。

サザランド

米国の生理学者。カンザス州生れ。ワシントン大学医学部卒。1963年バンダービルト大学教授。肝臓グリコーゲンとホルモン作用との関連を研究し,特殊な生理活性をもつ環状AMPを発見した。1965年日本神経化学会の招きで来日。1971年ノーベル生理医学賞。

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世界大百科事典(旧版)内のサザランドの言及

【コンピューターアート】より

…映像作品にはハード,ソフト,メモリーを含む制作環境の変化が大きく影響しており,体験型の作品には仮想現実(VR)などの分野におけるエンジニアリングが,そしてネットワークアートやマルチメディアにはPCの普及や通信のインフラが大きく関与しているといえるだろう。
[黎明期の技術]
そもそも,今日のコンピューターグラフィックス(CG)制作環境の基礎となるハードウェアやインターフェースは,アメリカの軍事技術の探究によって生み出されたもので,本格的なCG制作環境が整ったのは,1960年代にマサチューセッツ工科大学(MIT)のアイバン・サザランドがスケッチパッドという対話型の図形処理システムを完成して以降である。サザランドがユタ大学へ移籍してからは,HMD(ヘッドマウントディスプレー)やフライトシミュレーターのようなVR技術のルーツとなるハードを開発するかたわらで,さまざまな人物に大きな影響を与えた。…

※「サザランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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