人生とは何か、あるいは人間はいかに生きるべきか、という問題に対する、意識的あるいは無意識的な総体的見解をいい、しばしば「世界観」と対(つい)をなす用語として使われる。人生観ということばの発生は、明治末年から大正時代(19世紀末~20世紀初頭)にかけてのことであると思われるが、これは個人の自由の自覚の結果である。つまり、各人は、自己の自由と責任とにおいて先の問いに対しておのおのの答え、あるいは見解をもつことが可能であり、またもたなければならないという、人生に対する見方や価値づけの仕方の多様性とそれを選択する個人の自由が前提とされるところに、初めて、人生観という用語が生じてきたのである。
この結果、過去および現在のさまざまな人生観の自覚的反省ないし検討ということが、当然、人々の意識に上ってくることとなる。このような見方からすれば、人生観には、悲観主義と楽天主義、現実主義と理想主義、経験主義と合理主義、唯物論と唯心論、無神論と有神論といった二元的な対をなすさまざまな類型が考えられるとされ、各人はおのおのの気質と性格、時代と環境とに応じてこのうちから自己に適するものを選び取り、自らの人生観を完成、成熟させ、また、させるべきものであるとされるわけである。
しかしながら、個人の大幅な自由と完成の可能性を前提とするこのような見解、そしてまた、それと表裏一体といってもよい関係をもつ人生観という用語は、いずれも大正デモクラシーと大正教養主義という背景と密接な関連をもって初めて可能となったものである。このことが、このことばを、その後社会科学的イデオロギー批判や精神分析といった人間の思考の集団的、そしてときに無意識的な決定要因を強調する考えの洗礼を受けた今日のわれわれに、いささか古めかしいものと感じさせるおもな要因になっていると考えられる。とはいえ、このことは、人生観の問題を、単純に時代おくれの、ないしはたかだか私的な関心事にすぎないものとして放置してよいことを意味するものではすこしもない。決定論的要因の網の目が、いかに厚く密なるものであろうとも、なんらかの自発性なしに人間は人間でありえず、また、当の網の目を自覚化する営みそのものが、つまるところは自発性と自由への希求に発するものと考えられるからである。個人的な人生観と、普遍的な哲学や学問の認識との相互検討と歩み寄りが、今後の課題となろう。
[坂部 恵]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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