日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヤマブキ」の意味・わかりやすい解説
ヤマブキ
やまぶき / 山吹
[学] Kerria japonica (L.) DC.
バラ科(APG分類:バラ科)の落葉低木。地下茎で繁殖し、大群落をつくることがある。茎は叢生(そうせい)し、高さ1~2メートル、まれに3メートルに達する。若い枝は緑色。葉は互生し、単葉で卵形、先端はとがり、縁(へり)に鋸歯(きょし)があり、葉柄がある。托葉(たくよう)は線形。3~6月、旧枝から出た短い枝の先に、黄色で径3~4センチメートルの5弁花を1個開く。雄しべは多数、雌しべは普通5本。果実は痩果(そうか)。山地に生え、日本および中国に分布する。多く庭園に栽培される。八重咲きになる品種をヤエヤマブキといい、これは果実ができない。その他、キクの花のような花形のキクザキヤマブキ、黄色を帯びた白色のシロバナヤマブキなど、多くの品種がある。ヤマブキの開花日は、九州南部が3月下旬、東京は4月下旬、北海道北部では6月上旬である。
ヤマブキ属はヤマブキ1種からなり、中国では薬用とする。
[鳴橋直弘 2020年1月21日]
文化史
『万葉集』では17首中12首が恋の花として詠まれ、いとしい人のおもかげが重ねられている。「妹(いも)に似る草と見しよりわが標(し)めし野辺(のへ)の山吹誰(たれ)か手折(たお)りし」(巻19)。庭への移植も恋が絡む。「山吹をやどに植ゑては見るごとに思ひは止まず恋こそ増され」(巻19)。また、巻10には「花咲きて実は成らずとも長き日(け)に思ほゆるかも山吹の花」と、ヤマブキが実らないことが描写されているので、当時すでに結実しない八重咲きが存在したと考えられる。はっきりと八重ヤマブキの名がみえるのは『源氏物語』の「野分(のわき)」である。江戸城を築いた太田道灌(どうかん)の故事で知られる、乙女が実のないことと蓑(みの)をかけた「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無きぞ悲しき」は、兼明(かねあきら)親王の歌で、『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』(1086)に収められている。中国では唐の時代から観賞されていた。
[湯浅浩史 2020年1月21日]
文学
『万葉集』から数多く詠まれ、春の花として、蛙(かえる)や鶯(うぐいす)と配合されたり、恋の歌にも、思慕する女性の比喩(ひゆ)に用いられたりして詠まれる。また、「かくしあらば何か植ゑけむ山吹の止(や)む時もなく恋ふらく思へば」(巻10)、「山吹のにほへる妹(いも)がはねず色の赤裳(あかも)の姿夢に見えつつ」(巻11)のように、同音反復で「止む」に、美しいという意味的に「にほふ」にかかる枕詞(まくらことば)として用いられる。平安時代になると、井出(いで)や吉野川などの名所と結び付き、蛙と配合されるなど、春の景物として類型化する。また、花が黄色であることから、「梔子(くちなし)(黄色)」を「口無し」に掛けて、「山吹の花色衣主(ぬし)や誰(たれ)問へど答へずくちなしにして」(古今集・雑躰(ざってい)・誹諧歌(はいかいか)・素性(そせい)法師)などと詠まれることも多い。『枕草子(まくらのそうし)』には、「草の花は」の段に「八重(やへ)山吹」、「大きにてよきもの」の段に「山吹の花」とある。『源氏物語』では、六条院(ろくじょういん)で紫(むらさき)の上(うえ)の春の町を彩る景物の一つとして、「胡蝶(こちょう)」の華やかな舞楽の場面の光景を形成し、また、玉鬘(たまかずら)の容姿によそえられる。『徒然草(つれづれぐさ)』の「折節の移り変はり」の段に「清げ」な花としてみえ、「家にありたき草木」の段にもあげられている。『花月草紙(かげつそうし)』には、常夏(とこなつ)(撫子(なでしこ))とともに晩春に他の花に遅れて咲く「執念(しうね)き深き花」とされている。季題は春。
[小町谷照彦 2020年1月21日]