日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユウガオ」の意味・わかりやすい解説
ユウガオ
ゆうがお / 夕顔
[学] Lagenaria siceraria Standley var. hispida Hara
ウリ科(APG分類:ウリ科)の一年草。同じくウリ科のヒョウタンと近縁の種で、祖先種は西アフリカ原産。かんぴょう(干瓢)の原料植物として知られる。なお、ヒルガオ科のヨルガオを俗にユウガオとよぶことがあるが、本種とはまったくの別種であり、この俗称は正しくない。茎はつる性で枝分れして10メートル余に伸び、巻きひげで他物に絡まる。葉は心臓形でやや浅く裂け、茎葉全体に軟毛がある。雌雄異花。葉腋(ようえき)に1個ずつつき、深く5裂した白い花を夏の夕方から開き、翌朝にはしぼむ。花期後30日ほどで大形の果実が成長し、完熟するとヒョウタンのように果皮が堅くなる。果実の形によって丸形のマルユウガオと長形のナガユウガオに大別される。マルユウガオは果実は直径約30センチメートル、重さ10~30キログラムになる。発育しきって、果肉が堅くならないうちに収穫し、果軸を中心として外側から円周に沿って果肉を削り、幅3センチメートル、厚さ3ミリメートルほど、長さは2~3メートルの連続した帯状にする。これを天日に干してかんぴょうをつくる。ナガユウガオは長さ50~80センチメートル、太さ直径15センチメートルほどになる。これも輪切りにしてむいてかんぴょうとするが、かんぴょう用にはマルユウガオより品質が劣り、あんかけにして煮食されるが、やや苦味のあるものが多い。かんぴょうの主産地は栃木県南東部で、この地域ではもっぱらマルユウガオが栽培されている。
春に苗床に播種(はしゅ)し、数枚の葉をもった苗を畑に定植する。夏の夕方の開花時、結実をよくするため人工交雑を行う。またかんぴょうむきは深夜から行われて、日の出とともに干し、短い日数で早く干し上げることが良品質のかんぴょうをつくるこつとされる。
種子取り用に完熟期まで置いて、果肉が硬くなったユウガオは、炭入れ、火鉢、花器、玩具(がんぐ)の面など農村工芸の材料とされる。
[星川清親 2020年2月17日]
文化史
ユウガオは花に注目した名で、『枕草子(まくらのそうし)』は「いとをかしかりぬべき花」と述べ、『源氏物語』には「花の名は人めきて」と、短命の一夜花を薄幸の女性に重ねた「夕顔」の巻がある。明治以降はヒルガオ科のヨルガオがユウガオともよばれ、一部で混乱があるが、江戸時代までのユウガオはすべて本種である。日本では果実にくびれのないのをユウガオ、くびれるのをヒョウタンと区別するが、両者は容易に雑種ができ、世界的には形も連続し、苦味は顕性遺伝子に支配されるにすぎない。最古の農作物の一つで、現在もインド、東南アジア、台湾などでは広く生鮮野菜として流通している。かんぴょう(干瓢)は中国では3~4世紀にさかのぼり、『釈名(しゃくみょう)』に「瓠畜(こちく)」の名で、皮をむいて蓄え、冬に用いよと記述される。かんぴょうは現在の中国では北部に残るが少ない。日本では『延喜式(えんぎしき)』(927)に、大和(やまと)国の産物としてあがる。現代の主産地栃木県へは1712年(正徳2)、近江(おうみ)(滋賀県)水口(みなくち)藩主鳥居忠英(ただてる)が下野(しもつけ)(栃木県)壬生(みぶ)藩に移された際、奉行(ぶぎょう)の松本茂右衛門(もえもん)に命じて、配布・栽培させて広がった。
[湯浅浩史 2020年2月17日]