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ラクナウ

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百科事典マイペディアの解説

ラクナウ

インド北部,ウッタル・プラデーシュ州の州都。ガンガー川の支流グムティ川右岸に位置する学術都市,交通の要地。鉄道修理工場があり,精密計器,金属,製紙,印刷などの工業も行われる
→関連項目トゥムリーバートカンデ

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世界大百科事典 第2版の解説

ラクナウ【Lucknow】

インド北部,ウッタル・プラデーシュ州の中央部にある州都。首都デリー東南東約485km,グムティ川の右岸に発達する行政・文化都市。カーンプルに次いで州内第2位の人口をもつ。人口161万9000(1991)。ガンガー(ガンジス)中流域の交通の要衝に位置するため,町の起源は13世紀にさかのぼる。16世紀中期には,シェール・シャー藩王国の一中心都市として栄えたが,1775年以降,ムガル帝国下のアウド藩王国の主都として発展した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラクナウ
らくなう
Lucknow

インド北部、ウッタル・プラデシュ州の州都。ガンジス川の支流グムティ川右岸に位置する。人口220万7340(2001)。州の行政の中心地であるとともに、医科大学カニング大学、イサベラ・ソーバン女子大学からなるラクナウ大学や、1863年創立のラクナウ博物館が所在するインド有数の教育、文化の中心地である。工業も盛んで、伝統的な金銀細工などに加え、繊維、印刷、製糖、機械工業などの近代工業が発展している。16世紀のムガル帝国時代より北部の重要都市で、1775年同帝国下のアウド藩王国の都となり繁栄した。しかし1856年東インド会社領に併合され、連合州の州都となった。1857年のインドの大反乱では、反乱の一中心地で攻防の拠点となった。公園や庭園が多く「庭園の都」とよばれるが、市街地の原型はアウド藩王国のアサフド・ダウラの時代にできたといわれる。当時の遺跡も多数あり、なかでもイマーム・バラ大寺院がみごとである。[中山晴美]

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世界大百科事典内のラクナウの言及

【ウッタル・プラデーシュ[州]】より

…人口1億3911万(1991)は同国第1位,面積29万4000km2は第4位,人口密度475人/km2は,ビハール州に次いで第4位という巨大な州。州都はラクナウ。前10世紀ころには,北西のインダス川方面からインド・アーリヤ人が進出し,インド亜大陸支配の核心地域を形成しはじめた。…

※「ラクナウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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