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ラマヌジャン ラマヌジャンRamanujan, Srinivasa (Aaiyangar)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ラマヌジャン
Ramanujan, Srinivasa (Aaiyangar)

[生]1887.12.22. エローデ
[没]1920.4.26. クンバコナム
インド生まれの数学者。子供の頃からけたはずれの記憶力をもっていたという。 15歳のときには,友人が図書館で借りたジョージ・シューブリッジ・カーの『数学通論』 (2巻,1880~86) を読み,その内容を自分のものにしただけでなく,彼自身の定理をつくり,アイデアを展開した。 1903年マドラス大学の奨学生となることを保証されたが,数学以外のものを勉強する気はないと辞退。結婚 (1909) ののち,マドラスの商事会社の会計係となる。 1911年にインド数学会誌に最初の論文を発表してから,才能がしだいに認められ始め,地元の大学教授らの勧めで,1913年イギリスのゴドフリー・H.ハーディと文通。ハーディの援助でケンブリッジ大学の奨学金を得て,1914年イギリスに行き,ハーディの指導を受ける。研究は整数論を中心とするもので,論文はイギリスやヨーロッパの学会誌に発表された。独学のため,知識は一面的で,二重周期関数,2次形式,コーシーの定理などについてはなにも知らないことから,素数理論の定理の証明のなかには誤っているものもあるという。 1918年にはロンドン・ロイヤル・ソサエティの会員に選ばれた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ラマヌジャン【Srinivasa Aiyengar Ramanujan】

1887‐1920
インドの数学者。マドラス州の貧しい家に育ったが,幼少のころから神童ぶりを発揮し,7歳のとき高等学校に入学した。1912年ころから数学の論文を発表するようになり,友人の勧めに従って,ケンブリッジ大学のハーディーG.H.Hardy(1877‐1947)教授にあてて,自分で見つけた100余の定理を含めた手紙を書いたところ,ハーディーは彼の才能を高く評価し,14年にトリニティ・カレッジの奨学生として迎えられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ラマヌジャン
らまぬじゃん
Srinivasa Ramanujan
(1887―1920)

インドの数学者。神秘なアジアの鬼才といわれる。マドラス(現、チェンナイ)の商人の子として生まれ、幼時から数値の異常な記憶力を示し、大学中退後、商社の会計係として勤務しながら、独学で研究を続けた。1913年イギリスのハーディGodfrey H. Hardy(1877―1947)にあてた手紙が認められ、のちにケンブリッジ大学に招かれた。しかし健康を害し、1919年に小康を得て帰国したが、翌1920年郷里で若死にした。業績としては素数分布についての「ラマヌジャンの予想」などがある。非凡な記憶力と、実例から法則を帰納する神業(かみわざ)のような洞察力に基づくものが大半であるため、その評価はまちまちであるが、数多くの逸話をみても一風変わった天才であることに間違いない。[一松 信]

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