フランス北部,ランスの大聖堂。正称はノートル・ダムNotre-Dame。シャルトル,アミアンの大聖堂とともに,盛期ゴシック建築の典型であり,それらのなかでも最も優雅で統一感のある様式をみせる。同大聖堂ではクロービス以来ほとんどすべてのフランス王の戴冠式が行われ,ジャンヌ・ダルクもここで失意の王シャルル7世を戴冠させた。
建造は,5世紀,9世紀,12世紀と行われたが,現在の建物は1210年の火災の後に再建されたもので,内陣部は1241年に完成された。西正面の双塔は14世紀に建造されたが,北塔は1427年の完成。建築家はアダンAdam,ジャン・ドルベJean d’Orbaisほか3人の名前が知られる。第1次大戦中の砲撃で身廊とそれを飾るステンド・グラスが破壊を受けたが,1938年に修復が完了した。画家シャガールによる内陣東端のステンド・グラスは,同大聖堂の新しい顔を伝えている。しかし何よりもランス大聖堂に輝きを与えているのは,扉口を飾る彫刻群である。とくに中央扉口に表現された〈聖母マリアのエリザベツ訪問〉に見られる,聖母のギリシア彫刻を想起させるような古典的容貌は,盛期ゴシック彫刻の頂点(1230ころ)をなす理想美を見せている。また,〈受胎告知〉の天使に見られるわずかの微笑や優雅な姿態は,盛期ゴシック彫刻の後半期(1250ころ)に現れる情感表現である。
執筆者:馬杉 宗夫
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フランス北東部、マルヌ県の副県都ランスにあり、シャルトル、アミアンの両大聖堂と並ぶ典型的なフランス・ゴシック聖堂の一つ。歴代フランス国王の多くが戴冠式(たいかんしき)を挙行した名刹(めいさつ)としても有名である。現存の建物はメロビング朝、カロリング朝に次いで、1210年の三度目の火災ののち建立されたものである。設計者はジャン・ドルベであろうといわれる。1211年に着工され、内陣と翼廊は1241年ごろ、身廊は1285年ごろ、そして西ファサードは14世紀に入って完成された。平面は三廊式身廊、三廊式翼廊、および五つの礼拝堂をもつ内陣部から成り立つが、礼拝堂が放射状に配列された内陣部の設計はイギリスの戴冠式聖堂ウェストミンスター寺院に反映している。ヨーロッパ中世を通じて最高の傑作とみなされる西ファサードの三つの玄関口の側面は、それぞれ大小の彫像で装われ、バラ窓の上部には歴代国王の立像がそれぞれニッチ(壁龕(へきがん))に納められ、いずれもフランス・ゴシック彫刻の代表例として知られている。側面の控壁(ひかえかべ)は横圧を支える構造上の役割を果たすとともに、大聖堂全体の構成にアクセントをもたせ、外観効果を高めている。なお、この聖堂は付近にあるサン・レミ教会、トウ宮殿とともに、1991年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[濱谷勝也]
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フランス北東部の司教座都市ランスの大聖堂。クローヴィスが496年にランス大司教から洗礼を受けて以来,歴代フランス王の戴冠式はここで行われた。現在に残る建物は,13世紀ゴシック建築の傑作の一つで,世界遺産に登録されている。
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…フランスの修復建築家,建築史家,建築理論家。パリ生れ。エコール・デ・ボザール(国立美術学校)を忌避して独学で建築を学び,文化財保護技監であったP.メリメに認められてベズレーのラ・マドレーヌ教会の修理に当たった。ついで老練の建築家ラッシュスJean‐Baptiste Lassusとともに,1845年よりパリのノートル・ダム大聖堂の修復工事を担当してその地位を固めた。その後,文化財保護委員会委員,宗務省の建築技監として活躍し,シャルトル,ランス,アミアンなどの大聖堂やカルカソンヌ市の城壁,ピエールフォン城(ナポレオン3世の命による)などの修復に当たった。…
※「ランス大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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