百科事典マイペディア 「リシツキー」の意味・わかりやすい解説
リシツキー
→関連項目チヒョールト
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ソ連の画家、建築家。雅号はエリ・リシツキーЭль Лисицкий/El' Lisitskiy。スモレンスク州ボチノク村生まれ。1909~14年ドイツのダルムシュタット工科大学に学び、革命後は一時シャガールが校長を務めたビテブスクの美術学校で教えたこともある。21~25年ドイツおよびスイスに滞在、オランダの「デ・ステイル」グループのメンバーとなった。20年代にはシュプレマティズムの影響の下、一連の宣伝ポスターを制作した。建築の分野でも活躍し、数々の実験的な設計図を発表したほか、紡績会館(1925)、プラウダ新聞社のコンビナート(1930)などの作品が有名。また書籍の挿絵や装丁、フォトモンタージュなど幅広い活躍を行い、モスクワに没。しかし、第二次世界大戦後の雪どけが訪れるまで、その仕事は正当に評価されず、近年ようやく本格的な研究が始まったところである。
[木村 浩]
『阿部公正訳『エル・リシツキー――革命と建築』(1983・彰国社)』
ソ連邦のデザイナー。本名Lazar' Markovich Lisitskii。スモレンスクに近いポチノクの生れ。ドイツのダルムシュタットで建築を学び,革命後マレービチのもとで絵画から建築への展開を求める〈プロウン(新しいものの確立計画)〉を計画,1922年以降しばしば西欧に行って,ファン・ドゥースブルフ,モホリ・ナギ,アルプら多くの前衛芸術家と交わる。構成主義的なタイポグラフィー,写真を使ったグラフィック・デザイン,展示デザインを手がけ,内外のデザイン界・建築界に大きな影響を与えた。
執筆者:宮島 久雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…しかし,絵画から額縁を取り去り,彫刻から台座を取り除き,建築空間や都市空間のなかに,それら自身を位置づける考えが生まれてきた。これは,1920年代のロシア構成主義や,オランダのデ・ステイルなどから生まれた考え方で,リシツキーやファン・ドゥースブルフの建築・造形観に代表される。その後60年代の芸術運動のなかで,はっきりと〈環境芸術〉という言葉が用いられるようになった。…
…色彩を持つ平面が独立の要素として,エネルギーの経済原則に従った〈経済的幾何学主義〉の名のもとに,新たに時・空間の中で地球と月の間の新しい衛星計画案へと展開した。リシツキーはこれをうけて,19年より〈プロウンPROUN(新しきものの確立のための計画)〉を計画し,スエティンNikolai Mikhailovich Suetin(1897‐1954)やチャシュニクIlia Grigorievich Chashnik(1902‐29)などもそれぞれシュプレマティズムの作品を制作した。シュプレマティズムと20年代の構成主義を含めて,革命前後の前衛的な芸術の動向を指すのに〈ロシア・アバンギャルド〉の語が使われることもある。…
※「リシツキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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