ドイツの地理学者。近代地理学の創始者といわれる。ケドリンブルクに生まれ,6歳のときから11年間シュネップェンタールで教育者C.G.ザルツマンの汎愛学舎に学ぶ。ハレ大学に2年学んだ後,スイス,イタリアをはじめヨーロッパ各地を旅行,イベルドンにJ.H.ペスタロッチを訪れたことも数回ある。ゲッティンゲンに移り(1813-16),ここで学びかつ多くの学者と交流し,著作に専念した。《自然および人間の歴史とのかかわりにおける地理学Erdkunde》2巻(1817,18)を著す。これは地理学に科学としての基礎を与え,出発点を設定するもので,当時の大きな評価を受け,彼をベルリンに招聘せしめるもとになった。一時フランクフルトのギムナジウムで教えていたが,1820年ベルリンに移り,陸軍大学とベルリン大学(1825年より正教授)で講義を始める。ベルリン大学は,ここで初めて地理学の講座を開く。世界で最初で,外国人受講生も多かった。門下からは,J.G.コール,J.J.E.エリゼ・ルクリユ(フランス),A.ギヨー(スイス)らが出た。前著2巻本の改訂増補・再版は,他の著作とは別に続けられ,1822-59年の間に19巻が出たが,彼の死により中断され,世界地誌としてはアフリカとアジアで終わった。ほかに《一般比較地理学序言》(1852)があり,これはベルリン学士院での講演を多く収録した重要な論文集である。
執筆者:野間 三郎
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ドイツの電気学者。ハイナウ(現、ポーランドのホイヌフ)近くの牧師の子。1796年から2年余イエナ大学で医学を学ぶ。ゴータ公に出仕(1801)、母校の講師(1803~1804)を経て1805年からミュンヘンの科学アカデミー会員。在学中にガルバニズムの研究を始め、異種金属セルによる水の電気分解、これによる摩擦電気とガルバニズム電気の同一性の証明(1799~1800)、金属の電気化学列の発見とこれに基づくセル電流発生の化学機構説の提唱(1798)、乾電池の発明(1802)、蓄電池の製作(1803)、オームの法則の先駆的発見(1805)、動植物の電気生理学など多大の開拓的業績をあげた。また、自然界の「極性」という概念に基づき、赤外線の存在が知られるとすぐに紫外線を発見する(1801)。しかし、自然哲学的思弁に勝り、学界に認められず、33歳にして不遇のまま早世する。
[肱岡義人]
ドイツの地理学者。ハレ、ゲッティンゲン大学卒業後、教育関係の仕事に従事していたが、1820年よりベルリン大学の教授となり、フンボルトとともに近代地理学の樹立に貢献した。しかし、フンボルトが自然地理学の創始者と目されるのに対して、リッターは人文地理学の祖述者である。1817年『地理学』Die Erdkundeを著したが、副題に「自然と人類の歴史との関連、すなわち一般比較地理学」と記されているように、リッターは地理学をもって自然と人類社会の因果関係を考察すべきことを主張。18世紀の観念論の影響を受け、地表を人類の居住の場所であるのみならず、神による人類の教育の場所とみなすなど、なお所論に神学的目的論の色彩が認められる。また比較地理学を主張するように、世界の各地域の地域的個性を比較究明するために、『地理学』の続編として22年から38年を費やして、19巻にわたる膨大な世界の地誌的記述を行ったが、アジア、アフリカ以外の地域は未完に終わった。
[織田武雄]
ドイツの歴史家。フライブルク大学教授(1925~56)。第三帝国末期に抵抗運動に連座して収容所に入った良識ある保守派。その学風は、ドイツ歴史学の伝統に忠実な政治史で、歴史上の偉大な人物への共感に満ち、戦後はナチスによって汚されたドイツのよき伝統を守ろうとした。主著『ルター』(1925)、『シュタイン』二巻(1931)、『フリードリヒ大王』(1936)、『政治と軍事』四巻(1954~68)。
[木谷 勤]
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1888~1967
第二次世界大戦後西ドイツの歴史学界を代表した歴史家の一人。プロイセンの伝統を積極的に評価しようとする。『政治と軍事』(1954~64年)ほか著書多数。保守的な歴史家だが,大戦中は反ナチス抵抗運動にかかわって一時拘禁。
1779~1859
ドイツの地理学者。1807年アレクサンダー・フォン・フンボルトを知って地理学の道に進み,近代的学問としての地理学を基礎づけた。1820年ベルリン大学教授。主著『自然と歴史との関わりにおける地理学』。
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…このためレンズ,窓,フィルター,鏡などで,広い波長範囲で良好な特性をもつ光学器材を得ることは困難である。紫外線の発見は,1801年にドイツのリッターJohann Wilhelm Ritter(1776‐1810)が,太陽光のスペクトルの可視部分より短波長側に,塩化銀を黒化させる作用をもつ部分があることを見いだしたのが最初とされている。
[波長区分]
実験技術上,紫外線に対しては便宜的な波長区分がよく用いられる。…
…このためレンズ,窓,フィルター,鏡などで,広い波長範囲で良好な特性をもつ光学器材を得ることは困難である。紫外線の発見は,1801年にドイツのリッターJohann Wilhelm Ritter(1776‐1810)が,太陽光のスペクトルの可視部分より短波長側に,塩化銀を黒化させる作用をもつ部分があることを見いだしたのが最初とされている。
[波長区分]
実験技術上,紫外線に対しては便宜的な波長区分がよく用いられる。…
…哲学者のJ.G.vonヘルダーは田園の風物や民俗の意義を強調し,〈風土〉の思想を提唱したし,H.ペスタロッチは郷土における生活体験に即した教育哲学の必要性を唱えた。ヘルダーとペスタロッチの影響のもとでK.リッターは,土着の住民たちの郷土への鋭い理解こそ地理学の出発点であると主張し,地域を探究する近代地理学を創始した。住民たちの郷土観照のあり方が地名に反映していると見て,地名研究に関心を向けたのもリッターである。…
…このほか,ビュアシュP.Buache(1700‐73)やガッテラーJ.C.Gatterer(1727‐99)による自然地理的地域区分の提唱,ビュシングA.F.Büsching(1724‐93)の世界地誌,J.G.vonヘルダーの歴史哲学的著書などは,それぞれ近代地理学の成立に影響を与えた。 19世紀の前半は,A.vonフンボルトとK.リッターによって代表される近代地理学の草創期である。フンボルトは,熱帯アメリカにおいて科学的な野外調査の模範を示し,自然現象の専門的観測調査の成果を総合して,生きた自然世界の全体像を把握しようと努め,ライフワーク《コスモス》を著した。…
※「リッター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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