リヤド

デジタル大辞泉 「リヤド」の意味・読み・例文・類語

リヤド(Riyadh)

サウジアラビア王国首都同国中央部、ネジド台地のオアシスに位置する。数多くのモスクがあり、イスラム教ワッハーブ派本拠地人口、行政区409万(2004)。

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精選版 日本国語大辞典 「リヤド」の意味・読み・例文・類語

リヤド

  1. ( Riyadh ) サウジアラビア王国の首都。アラビア半島中央部の台地上に位置する。

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百科事典マイペディア 「リヤド」の意味・わかりやすい解説

リヤド

サウジアラビアの首都。アラビア半島北東部の内陸地帯にあり,名はアラビア語で〈庭園〉を意味する。元来ナジュド主都で,官庁,各国公館,王宮,大学(1957年創立)がある。鉄道でペルシア湾岸のダンマームと連絡し,道路は各地に通じている。ワッハーブ派の運動を背景にサウジアラビア王国の創始者アブド・アルアジーズ・ブン・サウードが1902年ここを占領して王国の基礎を築いた。519万人(2010,郊外を含む)。
→関連項目サウジアラビアダンマームファイサルフフーフブライダ湾岸協力会議

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リヤド」の意味・わかりやすい解説

リヤド
りやど
Riyadh

サウジアラビアの首都。アラビア半島のほぼ中央、ネジド台地の標高594メートルに位置し、ワジ・ハニーファとその支流のワジ・アイサーン、ワジ・バサの合流点にある。人口372万4100(2003推計)。古来、広大なナツメヤシプランテーションがあり、地名は庭園を意味する。1902年クウェートに亡命していたサウド家のアブドゥル・アジズ2世(通称イブン・サウド)がこの地を奪回したころは、高さ約7メートルの厚い土塀に囲まれた、迷路の町であった。1932年サウジアラビア王国が成立すると首都となり発展した。

 とくに第二次世界大戦後は石油収入により急速に近代化され、広い道路に沿い各省の本部やホテル、高級住宅、商店が並んでいる。王宮が威容を誇るほか、ワッハーブ派イスラム教徒の本拠地として数多くのモスクがある。かつてはジッダに置かれていた外務省、外国公館も、リヤドへの外国人流入を規制する方針が緩和されたことにより、1983年リヤドに移転した。

[片倉もとこ]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リヤド」の解説

リヤド
al-Riyāḍ

アラビア半島中央部にあるサウジアラビアの州および首都名。19世紀に第2次ワッハーブ王国の首都となり,一時期ラシード家に奪われていたが,1902年サウード家アブドゥルアジーズが奪還した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「リヤド」の解説

リヤド
Riyadh

サウジアラビアの内陸東部にある同国の首都
ネジド台地に位置し,1773年にサウード家が建設,1824年サウード家の都となった。一時ラシード家との抗争で退却したが,1902年イブン=サウードが奪回し,32年サウジアラビア建国によって首都になった。ペルシア湾岸のアッダンマンとは鉄道で結ばれている。

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