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リューリク Ryurik

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リューリク
Ryurik

ロシアの建国者。ロシアの年代記によれば,バリャーグ人族長で,2人の兄弟シネウスとトルボールとともに招かれてロシアに渡り,862年にノブゴロドに最初の国家を建てた。彼はリューリク朝の開祖となるが,旧ソ連の歴史学者はこれを非科学的な「ノルマン説」として否定し,9世紀頃までにスラブ人の間に国家を形成する内的条件が存在していたと主張した。

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百科事典マイペディアの解説

リューリク

ロシアの建国者。ルーリックとも。ロシアの《原初年代記》によれば,スウェーデンのノルマン(ワリャーギ)の首長で,フィン人やスラブ人に招かれ,二人の弟とともに862年ノブゴロドに赴いて建国したと伝えられる。彼に従った人びとはルーシRus'と呼ばれ,これがロシアの語源となった。彼の死後,その子イーゴリの後見を託されたオレーグは南下してキエフに向かった。→キエフ・ロシアリューリク朝

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世界大百科事典 第2版の解説

リューリク【Ryurik】

?‐879
ロシア最初の公。在位?‐879年。ノルマン(ワリャーギ)出身。ロシアの《原初年代記》(別名《過ぎし年月の物語》)862年の項によれば,ロシア北部のイリメニ湖畔居住のスラブ族であるスロベン族(ノブゴロド・スラブ),ボルガ川上流のメリャ族やクリビチ族が,それまで彼らに貢納を課していたワリャーギを追い払い,〈海のかなた〉なるワリャーギのもとへ使者を遣わして統治者を招いた。〈国は広くて豊かではあるが,秩序がない。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

リューリク
りゅーりく
Рюрик Ryurik
(?―879)

ロシアのリューリク王朝の祖。ロシア最古の年代記の伝えるところによると、内紛に悩むロシア(ルーシ)諸族は「海の彼方(かなた)のワリャーギ(ノルマン人)」の下に使節を派遣し、彼らを統治する公を求めた。この招請に応じてロシアへきたのがリューリク、シネウス、トルボルの三兄弟であった(862ころ)。そのうち最後まで生き残ったリューリクが全権力を握ったという。年代記の以上の記述から後代の人々は、古代ロシア国家がノルマン人のリューリクによって建てられたと考えた。今日この説には反対が多く、リューリクの存在を否定する説、否定しないまでも、彼を征服者とする説、あるいはロシア国家は東スラブ人社会の長期の内在的発展の結果成立したとする説など多くの説がある。リューリクの死後、その子イーゴリを擁したオレーグがキエフを占領し(882)、ここにリューリク朝の基礎が築かれた。以後16世紀末に至るロシア諸公位はすべてリューリクの子孫が占めることになった。[栗生沢猛夫]
『国本哲男著『ロシア国家の起源』(1976・ミネルヴァ書房)』

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世界大百科事典内のリューリクの言及

【ドニエプル[川]】より

…黒海~ドニエプル川~ボルホフ川~バルト海あるいはバイキングの国への水上ルートは,シルクロードの太い支線であり,この道筋をたどってビザンティン帝国や東方の文物が運びこまれた。また9世紀後半にノブゴロドに建国したとされるリューリクは息子や家臣をこのルート伝いに南下させてキエフに公国をつくらせた。【渡辺 一夫】。…

※「リューリク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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