リンスホーテン(その他表記)Jan Huyghen van Linschoten

改訂新版 世界大百科事典 「リンスホーテン」の意味・わかりやすい解説

リンスホーテン
Jan Huyghen van Linschoten
生没年:1563-1611

オランダ旅行家ハールレムに生まれ,やがて港町エンクホイゼンEnkhuizenに移る。若くしてスペインポルトガルに赴き,1583-88年インドゴア大司教の書記として働く。このインド滞在中にインドへの航路をはじめ,インド各地の人口や天然資源,商業取引の可能性,さらには中国や日本に関する情報を精力的に収集した。ただ彼自身直接旅行して見聞したものは少ないといわれる。89-91年ドイツの大商人フッガー家の代理人としてアゾレス諸島に滞在。92年エンクホイゼンに帰り,同市のパルダヌスPaludanus博士の協力を得て,みずから収集した膨大な資料を《ポルトガル人東方旅行記》《案内記》(ともに1596)として出版。これはポルトガルが独占的に巨利を得ていた東方貿易実情を暴露し,オランダ人のインドへの航行熱を刺激するとともに,旅行手引書として大きな威力を発揮,ドイツ語,フランス語などにも翻訳された。このほか,パルダヌスとともに西インドに関する著述をも著した。オランダでは1594-95年に,バレンツWillem Barentsz(1550ころ-97)が北極海経由でインドに至る航路を開拓する試みを行ったが,これを理論的に指導したのもリンスホーテンであるといわれる。彼自身2度にわたってその航海に参加したが,いずれも失敗に終わった。オランダでは1908年に彼の名にちなんでリンスホーテン協会Linschoten-Verenigingが設立され,各種の旅行記や航海記を出版している。なお,《案内記》には,ゴア在職中,日本の天正遣欧使節のゴア寄港に接した記事がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リンスホーテン」の意味・わかりやすい解説

リンスホーテン
Linschoten, Jan Huyghen van

[生]1563. ハールレム
[没]1611.2.8. エンクホイゼン
オランダの旅行家,探検家。インドのゴアにおもむき,帰国後,滞在中 (1583~89) の見聞,インドの住民風習について2巻の著作を発表し,オランダ人やイギリス人のインド航行熱を刺激した。ゴアでは日本の天正遣欧使節の通過を目撃。インドへの最短航路を発見しようとして,W.バレンツとともに北東航路探検 (94~95) に参加して,航海記を著わした。

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百科事典マイペディア 「リンスホーテン」の意味・わかりやすい解説

リンスホーテン

オランダの旅行家。1583年―1588年インドのゴアに滞在して東洋事情に通じ,1595年―1596年〈イティネラリオ〉三部作と呼ばれる《東方案内記》《ポルトガル人東方旅行記》《アフリカ・アメリカ地誌》を刊行。オランダの東方進出を促した。また北方航路を探検,《北方航海記》を出版。

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世界大百科事典(旧版)内のリンスホーテンの言及

【海流】より

…コロンブスの探検航海の水先案内人アラミノスAntonio de Alaminosは1513年メキシコ湾で湾流の存在に気づき,この大海流に乗ってヨーロッパへ渡る最適帆船航路を発見した。95年オランダ人J.H.vanリンスホーテンは水路誌を作成して大西洋における海流を詳説したが,これがその後100年余り航海者にとっての指針となった。1678年やはりオランダのキルヒナーはインド洋海洋図を刊行したが,その中には西向きの赤道海流およびアガラス(アグラハス)海流が明示されている。…

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