ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルイ18世」の意味・わかりやすい解説
ルイ18世
ルイじゅうはっせい
Louis XVIII
[没]1824.9.16. パリ
フランス王 (在位 1814~15,15~24) 。ルイ 15世の孫,ルイ 16世の弟。初めプロバンス伯。 1771年サボア (サボイア) 公女マリ・ジョゼフィーヌと結婚。ルイ 16世による高等法院の追放解除や財務総監 C.カロンヌの改革案に反対し,全国三部会では第三身分の代議員数倍加を主張したため,反宮廷派の嫌疑をかけられたこともあるが,フランス革命勃発後,91年6月 20日ルイ 16世のバレンヌ逃亡の日,ベルギーに脱出。 93年ルイ 16世の刑死により摂政,95年甥のルイ 17世の死により国王の称号を得,亡命貴族と連携し王政の復古に努力したが,革命軍の勝利とナポレオン (1世) 登場以後,亡命先を転々とした。 1814年3月連合軍がパリに入城してナポレオンがエルバ島に追放されると,イギリスと C.タレーランの支持を得て帰国し (第1次王政復古 ) ,同年6月神聖不可侵の世襲王権を規定するとともに,法の前の平等,所有権の不可侵,基本的人権を認めた憲法を制定。 15年ナポレオンの「百日天下」の間はベルギーのヘントに逃亡,ワーテルローの会戦後,第2次王政復古を果した。同年8月の王政復古後最初の下院選挙ではユルトラ (極右王党派) が圧勝したが,翌年ユルトラ議会は解散,新たな選挙で立憲王党派が多数派となり,E.ドカーズ内閣のもとで旧貴族とブルジョアの妥協のうえに立つ安定した政治が行われた。しかし,20年のベリー公暗殺事件はユルトラに反攻の機会を与え,21年ユルトラのビレール伯が首相となり,国王は反動支配のなかで 24年死去した。
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