ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルイ16世」の意味・わかりやすい解説
ルイ16世
ルイじゅうろくせい
Louis XVI
[没]1793.1.21. パリ
フランス王 (在位 1774~92) 。フランス革命中,パリの革命広場 (現コンコルド広場) でギロチンにかけられ処刑された国王として知られる。ルイ 15世の孫,皇太子ルイの第3子。初めベリー公。 1770年オーストリア皇女マリ・アントアネットと結婚。 1774年即位後,まず高等法院の追放を解除し,深刻化した財政危機を打開するため開明派官僚 A.テュルゴー,J.ネッケルを起用したが旧官僚の反対にあい挫折。 1783年財務総監に C.カロンヌを起用,免税特権を廃止して課税の平等を実現しようとしたが,高等法院の激しい反対にあった。そこで 1787年2月名士会を招集,一挙に財政改革を実現しようとしたが,高等法院の公然たる反抗 (いわゆる「貴族の革命」) にあった。次いで 1789年5月全国三部会を招集したが,議決方法をめぐり対立した第三身分代議員は国民議会の成立を決議し,7月その名称を憲法制定国民議会と改め,絶対王政に代わる立憲君主制の樹立を目指した。7月 14日のバスティーユの攻撃に続く革命の進行のなかで,国王は第三身分との妥協を認めず,10月ベルサイユからパリに移されて民衆の直接の監視下におかれた。その後,議会と宮廷との間はミラボー伯の仲介で一応の安定を得たが,王は列強の援助を求めて 1791年6月 20日パリを脱出,国外逃亡をはかったが失敗 (→バレンヌ逃亡事件 ) 。 1792年8月 10日王権停止が決定され,さらに同 1792年 12月開かれた国王裁判で死刑が確定し,1793年1月処刑された。
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