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ルドルフ[1世] ルドルフ

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百科事典マイペディアの解説

ルドルフ[1世]【ルドルフ】

ハプスブルク家初のドイツ王(在位1273年―1291年)。ハプスブルク伯アルブレヒト4世の子。1273年諸候により国王に選ばれ大空位時代終止符を打った。1278年敵対者ボヘミア王オタカル2世を敗死させ,オーストリア,シュタイエルマルク,ケルンテンの諸公領を獲得,同家の東方発展の基礎を築いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ルドルフ[1世]【Rudolf I】

1218‐91
ハプスブルク家初のドイツ王。在位1273‐91年。南ドイツの小諸侯だったが,大空位時代(1256‐73)後,諸侯により国王に選出さる。ドイツ国内の安定を策し,フランスの東方拡大に抵抗する一方,イタリアでは教皇と協調,ボヘミア王オタカル2世を攻撃して78年敗死させ,領土回復したオーストリアとシュタイアーマルクを82年に息子に授封,家門勢力を帝国東部に確立して,帝国の政治的重心が東部に移転する先駆となった。

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世界大百科事典内のルドルフ[1世]の言及

【ハプスブルク家】より


[オーストリア支配と世界帝国]
 スイスとエルザス(アルザス)に所領をもつ豊かな貴族として,1020年にはスイス北部にハプスブルク城を築き,伯の称号をもっていた。大空位時代の混乱の後,始祖ルドルフ1世は,1273年ドイツ国王に選ばれ,競争者ボヘミア王オタカル2世からオーストリア,シュタイアーマルクを没収し,82年息子たちに授封し,初めて東方に家領を確保した。兄弟全員による相続権所有の原則から,以後相続争いと系統分立を繰り返すが,断絶の際には残った系統に再統一される復元力もあって多産系のこの王家は家領を拡大する。…

【ラント法】より

…ただラント法の一般性は,特別法領域としての都市法によって破られることはいうまでもないが,レーン法との関係は対立的というより相補的である。 個々のラント法が12世紀に事実上存在したことは証書史料の文言から明らかであるが,法記録として最も古いのは,1233年ドイツ騎士修道会総長の公布したクルム法であり,有名なオーストリアのそれは,ルドルフ1世のもとでラントの政治的統合が再確認されたとき(1278‐80)に成立した。中世末期から近世にかけての諸ラント法の〈制定〉は,しばしば領邦君主側のイニシアティブのもとで行われたが,それにもかかわらず,どのラント法もつねに,ラントを構成する諸身分の伝統的諸権利の法的表現という性格を基本的に失うことはなかった。…

※「ルドルフ[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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