治安立法における「治安」という概念は、多義的であるが、普通いわれている治安立法とは、国家秩序や社会そのものに関する法益の保護を目的とし、それに反対する思想やその表現を含む政治活動、大衆運動の自由を権力をもって取り締まるために定められた諸立法をさしている。
[吉田善明]
個人の自由、財産権の保障のような私益に還元されない、国家秩序ないし社会そのものの法益の保護を目的とする立法の制定であるとすれば、その立法の特徴は、以下のようになる。
(1)その法益(体制維持)に反対する国民の反抗を権力によって抑圧する手法を明確にしている。
(2)その抑圧する範囲を広げ、政治的予防の措置にまで及んでいる。政治的予防とは、その体制維持に反対する団体および勢力の行為の危険に対処するだけではなく、思想そのものの取締りにまで及ぶことである。
(3)思想そのものの取締りまで含むとなると、構成要件の記述が不明確なものとなる。
[吉田善明]
19世紀ドイツの政治家ビスマルクが1878年に制定した「社会主義者鎮圧法」Sozialistengesetz(1978~90)は、治安立法の典型的なものである。当時、ドイツでは、資本主義の危機が増したことに伴い、社会主義思想が普及してきたことから、この思想を抑圧するためにこの法律を制定した。日本では、大日本帝国憲法(明治憲法)のもとで、1900年(明治33)の治安警察法、1925年(大正14)4月の治安維持法などの諸法律が制定され、天皇制国家を批判する反体制団体、勢力およびその思想を弾圧した。これらの反体制団体、勢力の取締りは、普通犯罪を取り締まる警察と区別し、高等警察(いわゆる政治警察)を設けて対処した。とくに共産主義活動に対処するのを特別高等警察(特高)と称していた。
第二次世界大戦後にいたり、天皇制絶対主義の政治秩序を維持してきた治安立法は、連合国最高司令官総司令部(GHQ)によって廃止された。1947年(昭和22)に制定された日本国憲法のもとでは、国民主義(民主主義)、基本的人権(政治活動の自由の保障)、平和主義を基本原理としていることから、少なくとも表面的には、これらの反体制運動を抑制する諸立法は、回避される傾向にあった。しかし、占領勢力であったGHQが占領政策を転換したことによって、日本政府はそれらの政策に反対する団体、勢力を抑制し、治安立法の復活、強化を図った。1949年(昭和24)の団体等規制令、公安条例(公安秩序保持のため、集会、集団行進、集団示威運動の取締りを目的とする都道府県が制定した条例)、52年の破壊活動防止法(破防法)の制定はその例としてあげられよう。
わけても、第二次世界大戦後まもなく制定され、問題となった「公安条例」は、条例の内容によって多少異なるが、集団行動などを行う者は、公安委員会の許可または事前の届出を必要とし、公共の秩序保持のために必要な取締り権限を警察機関に与えることを内容としている。したがって、これらの公安委員会による規制(許可または事前の届出)は、治安立法的性格のものであり、憲法21条が定めた表現の自由に反するのではないかといった批判が市民の間から叫ばれ、違憲訴訟が提起された。また、1952年(昭和27)に制定された破壊活動防止法は、暴力主義的破壊を行う団体に対する必要な規制措置とその違反者に刑罰を定め、公共の安全確保に寄与することを目的とし、規制に関する調査や処分などは公安調査庁が行うものとしている。暴力主義的破壊を行う団体とは、いかなる内容の団体活動をするのか、またその破壊活動の構成要件は何か、などが不明確であることから、法自体の違憲性が問われている。
現在の立憲政治体制のもとでは、治安立法そのものの制定を避け、治安立法的色彩の規定を、目的を異にする法規のなかに混在させて運用される場合が多い。1948年(昭和23)公布の軽犯罪法、49年の屋外広告物法、60年の道路交通法などをあげることができよう。たとえば、道路交通法は、道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とするものであるが、この法律は大衆運動、労働運動でみられる「ビラくばり」を規制する根拠法になっている。軽犯罪法や屋外広告物法は、「ビラはり」を規制する根拠法として運用されている。
また、日米安保体制を維持するために、1952年(昭和27)に制定された刑事特別法、MSA協定に伴い、54年6月9日に制定された「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」(防衛秘密保護法)も、特殊な性格をもつ治安立法の例としてあげることができよう。
[吉田善明]
『中山研一著『現代社会と治安法』(岩波新書)』▽『中山研一「治安と防衛」(『現代法学全集53 現代の国家権力と法』所収・1978・筑摩書房)』▽『杉村敏正・中山研一・原野翹著『治安と人権』(1984・岩波書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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