ルノー(自動車メーカー)(読み)るのー(英語表記)Renault S.A.

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ルノー(自動車メーカー)
るのー
Renault S.A.

フランスの自動車メーカー。1898年、ルイ・ルノーLouis Renault(1877―1944)が、兄2人とともにルノー兄弟商会を設立して自動車生産を開始したことに始まる。当時のフランスにおいて同社は後発メーカーであったが、ルノーの発明家としての才能や、自動車レースに数多く優勝して知名度が急速にあがったことなどにより、トップメーカーにのしあがった。また、早くからアメリカでの大量生産方式に関心をもち、第一次世界大戦中に軍需生産に協力した経験をもとに、戦後、流れ作業方式など合理的な生産方法を導入している。また、このころから小型車生産に取り組み始め、割賦販売を行うために信用会社を設立するなど大衆市場を目ざすようになった。1930年代後半には、大型車から小型車まで生産するフルライン・メーカーとして君臨し、フランスで生産される自動車の約半数がルノー製であった。第二次世界大戦中は、ドイツ占領下のフランスで軍需品製造の中心となり、空爆標的にもされた。しかし、戦争が終わるとこうしたドイツへの戦争協力が強く非難され、1945年に懲罰的な意味をもって国有化され、ルノー公団Régie Nationale des Usines Renaultとなった。戦後は一貫して小型車を中心とした生産に集中し、輸出拡大にも力を入れる。その後、高度成長の波にのって順調に拡大し、フランス北部を中心にヨーロッパ数か国にも工場を建設、また、中型車や大型車にも新製品を投入し、再びフルライン・メーカーとして成長していった。しかし、1980年に買収したアメリカン・モーターズは、1987年にクライスラーに売却するなど、アメリカ市場の獲得には失敗した。1980年代なかばに経営危機に陥ったものの、子会社の売却や徹底した合理化を進めることで立ち直る。ヨーロッパ市場での競争力強化を目的として、1990年にスウェーデンボルボとの提携を発表、合併前提交渉を進めていたが1993年に決裂した。また1994年に政府が保有株を一部売却、1996年に再び売却を行い、政府保有比率を46%まで引下げた結果、民営化が実現し現名称となった。1999年(平成11)3月に経営不振の日産自動車への36.8%の資本参加により提携し、自動車メーカーの世界的な再編に向けての動きに一歩を踏み出した。続いて同年にルーマニアのダキアDacia、翌2000年に韓国の三星(サムスン)自動車がルノー・グループに参加。2008年度のグループ売上高は377億9100万ユーロ、純利益5億9900万ユーロ。従業員数は約12万9068人(2008年末)。また、政府保有株の比率は15%である。

[小澤一男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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