ルブルク

百科事典マイペディアの解説

ルブルク

フランドル生れのフランチェスコ会修道士。リュブリュキとも。生年は1215年―1220年の間,没年不詳。1253年カペー朝ルイ9世の使節として,コンスタンティノープルを出発,キプチャク・ハーン国を経て,モンゴル帝国の首都カラコルムに至り,ムンゲ(憲宗)に謁見。滞在9ヵ月の後,キプロス島に帰ったが,使命は失敗。ルイ9世に提出した報告書は,モンゴル帝国の風俗習慣を知る好史料で,カルピニの記録と並び称される。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ルブルク【Guillaume Rubruquis】

フランス人宣教師。フランドルのリュブリュキの出身で,生年は1215年と20年の間,没年は不明。名はギヨーム・リュブリュキであるが,日本では英語名William Ruysbroeckにより,ルブルクと呼ぶことが多い。フランス王ルイ9世の使者として,1253年初め出発,バトゥの本営を経て,同年12月27日,カラコルム西方のモンケ・ハーンの本営に着き,翌年4月初め,カラコルムに入った。7月10日,モンケの書簡をもって帰途についた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルブルク
るぶるく
Guillaume de Rubrouck
(1215/1220―1270ころ)

フランスのフランドル地方出身のフランシスコ会修道士。十字軍を率いるルイ9世とともに、パレスチナ滞在中に、モンゴル帝国領のキリスト教事情、とくにバトゥBatu(1207―1255)の子サルタクSartaqがキリスト教徒であるとの評判を聞き、ドン川流域のその領内における布教を志し、ルイ9世のサルタクあて親書を帯びて1253年にアークル(現在イスラエル領アッコ)を出発した。サルタク領内の布教は許されず、さらにモンゴル本土のモンケ・ハンの宮廷に赴き、1253年末から約半年滞在したのち、モンケ・ハンのルイ9世あて書簡を託されて帰路につき、1255年トリポリに着いた。ルイ9世への復命書であるその旅行記は、モンゴル帝国領内の事情に詳しい。[海老澤哲雄]
『カルピニ、ルブルク著、護雅夫訳『中央アジア蒙古旅行記』(1979・桃源社/講談社学術文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

ゲーム障害

オンラインゲームなどへの過度な依存により日常生活に支障をきたす疾病。インターネットやスマートフォンの普及でオンラインゲームなどに過度に依存する問題が世界各地で指摘されていることを受け、世界保健機関(W...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android