レイ・チョウ(読み)れいちょう(英語表記)Rey Chow

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レイ・チョウ」の意味・わかりやすい解説

レイ・チョウ
れいちょう
Rey Chow
(1957― )

中国名は周蕾。香港(ホンコン)に生まれ、アメリカで活動する文化理論家、比較文学者。香港大学で英文学と比較文学を学んだあと、アメリカ、スタンフォード大学近代思想近代文学の修士号を取得、1986年に同大学で中国史の見直しを試みる論文で博士号を取得。その後ミネソタ大学、カリフォルニア大学アーバイン校を経て、1999年よりブラウン大学教授。

 ディアスポラ(もともとはユダヤ人の離散を示すことばだが、1980年代以降の文化研究、社会理論、ポスト・コロニアリズム文脈において新たな意味を獲得している。自らの起源(ルーツ)からの離脱、あるいは流浪の身にありながら、依然として自らのルーツに文化的、政治的、倫理的な強い結びつきをもち、それによって社会的連帯を志向する人々およびその概念)を論じる文化研究者としては『ブラック・アトランティック』(1993)を著したギルロイPaul Gilroy(1956― )と並ぶパイオニアである。アメリカの大学で研究、活動する香港生まれの知識人女性という自身に即して、チャイニーズ・ディアスポラの複雑な様相を浮かび上がらせ、ポスト・モダン、ポスト・コロニアルの時代における知と権力の問題を探求する。

 初期の著作『女性と中国のモダニティ』(1991)では、近代中国の文学作品に光を当てながら、女性として表象される中国、見世物として女性性を付与された中国人女性について指摘し、東洋をロマン化、理想化する西洋まなざしにあらがい、近代中国のモダニティの諸相を語った。ここで提起された他者の理想化の問題は、「ディアスポラについて書くこと」と「ディアスポラそのものが何かを書く」という二重の意味をもつタイトルの次作『ディアスポラの知識人』(1993)で、「知識人の位置」と発話をめぐる問題とあわせて、ネイティブの概念を照射する。

 レイ・チョウは、ネイティブの概念をベンヤミンの指摘したアウラと重ね、追い求めれば追い求めるほどわれわれの視界から消えてゆく、言説の複製生産物として問い直している。あたかも複製技術がアウラの喪失をもたらすことで初めてアウラの存在がほのめかされるように、メディアやテクノロジーの交通のなかで初めて「真正なるネイティブ」が存在し機能することに目を向ける。このようにしてイメージや物いわぬ対象として位置づけられてきたネイティブの概念を問い直すレイ・チョウの議論は、精神分析的なネイティブの解釈を行ったファノン、被抑圧者は語ることができないと論じたスピバクや、人工的、事後的にハイブリッド化されたネイティブの位置を探るバーバHomi K. Bahbha(1949― )の議論と響きあうものである。

 さらに『プリミティヴへの情熱』(1995)では、近代において、ネイティブのイメージが、書記文字文化によってだけではなく、むしろ視覚的なイメージによって構成され、固定化されてきたことに注目する。映画の製作、流通というまさにグローバルな市場において、「女性」「子供」を「プリミティブ」なものとしてロマン化する西洋のモダニズム、植民地主義のまなざしに対抗するために、エキゾチックなものとして自己を視覚的に生産するという自己参照的な文化翻訳の可能性を、張藝謀(チャンイーモウ)監督の『紅いコーリャン』(1987)、『菊豆(チュイトウ)』(1990)、『紅夢』(1991)や陳凱歌(チェンカイコー)監督の『子供たちの王様』(1987)などの現代中国映画に読みとっている。なお、本書はアメリカにおける文学・言語研究の最大の学会であるアメリカ現代語学文学協会(MLA:Modern Language Association of America)からその年のもっとも優れた研究書に与えられるジェームズ・ラッセル・ローウェル賞を受賞している。

 1998年には『観念論をこえた倫理へ』を発表。「他者」の存在を理想化させない批評の方向をポスト・コロニアル、ポスト・モダンの時代における倫理の問題として位置づけ、「他者」という位置の複雑さを露呈させる試みを探求する。

[清水知子]

『本橋哲也訳『ディアスポラの知識人』(1998・青土社)』『本橋哲也・吉原ゆかり訳『プリミティヴへの情熱』(1999・青土社)』『田村加代子訳『女性と中国のモダニティ』(2003・みすず書房)』『Ethics after Idealism; Theory, Culture, Ethnicity, Reading(1998, Indiana University Press, Bloomington)』『ガヤトリ・C・スピヴァク著、上村忠男訳『サバルタンは語ることができるか』(1998・みすず書房)』『上野俊哉著『ディアスポラの思考』(1999・筑摩書房)』『Paul GilroyThe Black Atlantic(1993, Verso, London)』『Avtar BrahCartographies of Diaspora(1996, Routledge, New York/London)』

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