19世紀フランスの社交家。公証人の娘としてリヨンに生まれる。愛称ジュリエット。15歳で、42歳の銀行家ジャック・レカミエと結婚。天性の美貌(びぼう)でパリの文芸サロンの花形となる。スタール夫人の親友として知られる。彼女のサロンには作家、画家のほか政治家も多く集い、ナポレオンに「閣議はいつからレカミエ夫人邸で開かれるようになったのか」といわしめ、アカデミー会員になるには夫人の助力を必要としたと伝えられる。コンスタンをはじめ多くの名士から愛を寄せられるが、1819年以降アベイ・オ・ボアAbbaye-au-Boisのサロンにシャトーブリアンを迎え、晩年はほとんど視力を失うが、この文豪への愛を貫いた。
[田部井玲子]
『菊盛英夫著『文芸サロン、その多彩なヒロインたち』(中公新書)』
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…この時期にはなおタリアン夫人,シュアール夫人,ジャンリス夫人らのサロンもあり,文学的にはシャトーブリアンらが訪れたルプランス・ド・ボーモン夫人のサロン(1800‐03)が有名である。ロマン主義時代にはユゴーやノディエもサロンを開き,七月王政期にはジラルダン夫人のそれも知られるが,最後の文学サロンといわれたのはレカミエ夫人dame Récamier(1777‐1849)のサロンである。第二帝政期になると,公女マティルドのサロン(フローベール,ゴンクール兄弟などが出席),プルタレス伯夫人のサロンなど貴族的サロンが再び現れ,第三共和政下ではジュリエット・アダン夫人,劇作家アルマン・ド・カイヤベなど作家自身の開くサロンが目だつようになる。…
※「レカミエ夫人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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