フランスの政治家,小説家。17世紀にスイスに亡命したフランスの新教徒の子孫としてローザンヌに生まれ,のちフランスに帰化する。ヨーロッパ各地の大学に学ぶが,利己的で移り気な性格で,女性関係も多く,また賭博に熱中し,放埒(ほうらつ)な青年時代を送る。1794年スタール夫人と知り,長期にわたって波乱に富んだ関係を続ける。恐怖政治が終わると夫人と相前後してパリに出,護民官となるが,やがて夫人とともにナポレオンに追放されてドイツに亡命,ワイマールに住み,ゲーテ,シラーと知り合い,シラーの史劇《ワレンシュタイン》をフランス語に訳す。王政復古とともにパリに戻り,《デバ》紙上でナポレオンを糾弾するが,百日天下の間はナポレオンに仕え,再び王政に戻るとイギリスに亡命,小説《アドルフ》を執筆(1806)。やがて許されて帰国し,1819年代議士に選ばれ,その後は自由主義派の政治家として活躍,30年七月革命に際してはルイ・フィリップの王政成立に協力し,参事院立法部長に任じられるが,同年末没した。第2次大戦後発見された《セシルCécile》(1951)は,2人目の妻となったシャルロット・ド・アルダンベールをモデルにし,彼女と知り合ったのちもスタール夫人との関係を断ち切れず,結婚の決意をするまでに15年も要した経緯を忠実にたどった自伝小説である。他に未完の《宗教論》(1824-30),多くの政治論,日記等がある。
執筆者:大浜 甫
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フランスの政治家、作家。ローザンヌに生まれる。13歳のときからイギリス、ドイツなど各地の大学に学んだ。1785年パリに赴き、94年スタール夫人に出会う。2人は政治と文学への情熱を分かち合いながら、1808年まで波瀾(はらん)に富んだ関係を保った。ナポレオン政府の護民官に任ぜられたが、侵略政策に反対して亡命し、百日天下ではふたたび皇帝に協力した。王政復古時代は、個人の権利の尊厳を説き、自由主義政党の論客として活躍した。変節ともとれる行動を繰り返しながらも理想を追い求め、私生活では賭(か)け事と異性関係で問題が絶えず、皮肉屋にして真率、どこか不可解な人物であったといわれる。多数の政治論文のほか、『宗教論』、二度目の妻の思い出を描いた『セシル』(1951没後刊)、自伝的作品『赤い手帖(てちょう)』(1907)などがあるが、とくに恋愛心理を精密に分析した『アドルフ』(1816)は、フランス心理小説の代表作に数えられている。
[工藤庸子]
19世紀ブラジルの軍人、政治家で、共和革命のおもな推進者。リオ・デ・ジャネイロの対岸ニテロイに生まれ、貧しかったため1852年陸軍に入り、翌年無料の士官学校に入学、数学で頭角を現した。フランスの数学者コントの実証哲学に傾倒し、高等師範学校を設立して数学を教えた。60年工兵大尉になり、パラグアイ戦争で戦功をあげた。88年中佐に昇進し、帝制打倒に尽力、翌年の共和革命の際には自らの部隊を指揮して陸軍本営を包囲した。臨時政権の陸軍大臣になり、陸軍刑法を近代化し、士官学校の教科改革に着手、また90年文相として教育改革を推進した。ブラジル国旗の中の標語「進歩と秩序」の考案者。
[山田睦男]
1833~91
ブラジルの軍人,教育者,思想家。士官学校でコントの実証主義を教え,青年将校の間に共和思想を普及させた。1889年,デオドーロ・ダ・フォンセカ将軍とともに共和主義派の青年将校を率いて王宮を包囲した。ペドロ2世は亡命し,ブラジルの帝政は崩壊した。第一共和政において陸相,文相に就任した。国旗の制定にあたりコント思想を表現する「秩序と進歩」の標語を掲げた。
1767~1830
フランスの政治家,文筆家。ナポレオンの第一帝政には反対したが,百日天下の改正憲法起草を指導し,復古王政期には,自由主義的反対派として終始した。心理小説『アドルフ』のほか『宗教論』を著した。
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…これに反してフランス革命の遺産を負ったフランス自由主義は,カトリシズムの教権支配やブルボン正統主義と闘う一方で,ジャコバン主義や革命的民衆運動から自己を絶えず区別する必要に迫られた。コンスタン・ド・ルベックBenjamin Constant de Rebecque(1767‐1830)が土地所有を政治的権利の不可欠の条件となし,F.ギゾーが選挙権の財産制限にあくまで固執したように,フランス自由主義の指導者が概して政治的民主化に消極的であったのは,自国の革命的伝統に対する両義的態度に由来する。1848年の社会的危機がナポレオン3世の人民投票的独裁によって収束された事実は,フランス自由主義の脆弱(ぜいじやく)性を明らかにした。…
…フランスのコンスタンの小説。1806年脱稿。…
…自由・平等・博愛という普遍的価値を前面に出して遂行されたこのイデオロギー革命は,その進展とともに革命に反対する運動を呼び,これが反動派réactionnairesを形成することになった。フランス革命の恐怖政治に対する反動化の真っただなかに生きた小説家,H.B.コンスタンは《政治的反動論Des réactions politiques》(1797)の中で,反動概念の定式化をはかった。彼は,革命がその当時の国民に広くいきわたっている理念をこえて進行するとき,反動が発生するとし,政治的反動を,(1)人間に対する反動,(2)理念に対する反動,に区別する。…
…とりわけルソーの書簡体小説《新エロイーズ》や自伝的な作品《告白録》がその代表とされる。恋愛を中心とする自己の感情の起伏や精神的苦悩を主人公に仮託して描く自伝文学は,ロマン主義文学の中でも主要な位置を占め,ゲーテの《若きウェルターの悩み》,シャトーブリアンの《ルネ》(1802),セナンクールの《オーベルマン》(1804),コンスタンの《アドルフ》へと継承され,ミュッセの《世紀児の告白》(1836)へと受け継がれる。この系譜の中からは,激変する社会の現実と自己の存在との乖離(かいり)を感じ,愛に満たされず何かを求め続け現実から逃避していく〈世紀病mal du siècle〉を病んだロマン派的魂の典型が浮かび上がる。…
※「コンスタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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