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ロドリゲス Rodriguez, Girão João

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ロドリゲス
Rodriguez, Girão João

[生]1558
[没]1633. マカオ
ポルトガルのカトリック司祭,イエズス会士。いわゆるバテレンの一人。天正 14 (1586) 年任地インドから来日,豊後,次いで大村領内で布教活動を行なった。慶長8 (1603) 年以後長崎のイエズス会本部で副管区長の書記をつとめ,翌年から『耶蘇会士日本年報』を執筆。同 19年の大追放によりマカオに追放され,同地で没。

ロドリゲス
Rodriguez, João Tçuzzu

[生]1561? セルナンセレ
[没]1634? マカオ
ポルトガル出身のイエズス会宣教師,言語学者。天正5 (1577) 年頃 16歳で来日。イエズス会に入り,コレジヨで修学。その語学力を用いて通事 (通訳) をつとめ,豊臣秀吉徳川家康知遇を得,対キリシタン政策の緩和や貿易交渉に大きな役割を果した。その著『日本 (大) 文典』 Arte da lingoa de Iapam (3巻1冊本,1604~08) は,当時の標準語文法を詳細に説き,発音や各地の方言その他にも及ぶもので,キリシタンの日本語研究史上の白眉とされる。元和6 (1620) 年にはこれを初学者用に簡約化した『日本小文典』 Arte breve da lingoa Iapoaを著わし,日本語文法を一段と整備体系化した。ほかに稿本として『日本教会史』などがある。なお,同時代に日本イエズス会に同名異人のジョアン・ロドリゲスというポルトガル生れのバテレンがいたので,これと区別するためツーズ Tçuzzu (通事) を添えて呼ばれることがある。

ロドリゲス
Rodríguez, Martin

[生]1771
[没]1844
アルゼンチンの軍人政治家。ブエノスアイレス州の政治指導者。 1806年イギリスの侵攻を防ぎ,10年の独立革命戦争を指導。 20~24年ブエノスアイレス州知事として進歩的政策を行い,のちの国家統一を助けた。

ロドリゲス
Rodríguez, Ventura

[生]1717.7.14. マドリード近郊
[没]1785.8.26. マドリード近郊
スペインの建築家。 F.ユバラに師事。マドリードのサン・マルコス聖堂 (1749~53) の建築によって認められ,以後マドリードを中心に活躍,多くの仕事を残した。最初イタリア・バロック様式に傾倒したが,スペインのロココ様式を発展させた。おもな作品はマドリードのサン・ベルナルド聖堂 (53) ,ブルゴス議事堂,パンプロナ大聖堂のファサード (83) など。

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デジタル大辞泉の解説

ロドリゲス(João Rodríguez)

[1561~1634]ポルトガルのイエズス会宣教師。1577年(天正5)来日。96年司祭。日本語をよくし通訳をつとめ、ツウズ(通事)ロドリゲスとよばれた。豊臣秀吉徳川家康の知遇を得たが、1610年(慶長15)追放された。マカオで没。著「日本大文典」「日本教会史」など。

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百科事典マイペディアの解説

ロドリゲス

ポルトガルのイエズス会宣教師。漢名陸若漢。1577年来日,通詞として豊臣秀吉,徳川家康に接し布教上の便宜を得,禁教の時代にも滞日を許された。1613年マカオに移り,同地で没。
→関連項目日本料理

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ロドリゲス Rodrigues Jeronimo

1568-1628 ポルトガルの宣教師。
イエズス会士。慶長5年(1600)来日し,伏見,金沢で布教。のち長崎コレジヨ院長,上(畿内)地区長をつとめる。元和(げんな)3年明石掃部(かもん)の長男パウロ明石内記の逃亡事件に連座し,離日した。1628年7月5日マカオで死去。60歳。

ロドリゲス Rodrigues Tçuzzu, João

1561-1634 ポルトガルの宣教師。
イエズス会の司際。天正(てんしょう)5年(1577)来日,豊後(ぶんご)府内(大分市)のコレジヨでまなぶ。日本語に堪能(たんのう)で,バリニャーノと豊臣秀吉との会見や徳川家康との折衝の際,通訳をつとめツズ(通事)と称した。慶長9年(1604)最初の日本語文法書「日本大文典」を刊行。15年マカオへ追放された。1634年8月1日死去。73歳。

ロドリゲス Rodriguez, Augustin

?-1613 スペインの宣教師。
フランシスコ会司祭。文禄(ぶんろく)3年(1594)マニラ総督使節として来日。慶長2年長崎で二十六聖人殉教事件の際,追放される。7年日本宣教長に任命されて再来日,徳川家康にあい江戸,伏見などの聖堂の使用をゆるされた。9年離日。

ロドリゲス Rodrigues Giram, João

1558-1629 ポルトガルの宣教師。
イエズス会司祭。天正(てんしょう)14年(1586)来日し,豊後(ぶんご)(大分県),肥前大村,平戸(ともに長崎県)で布教にあたる。慶長8年(1603)日本準管区長秘書。「イエズス会日本年報」を執筆した。19年マカオへ追放され,1629年10月15日同地で死去。71歳。

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デジタル大辞泉プラスの解説

ロドリゲス

体操、男子つり輪競技の技。前振り上がり上向き中水平。名称はフランスの体操選手、ダニー・ピネーロ・ロドリゲスから。

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世界大百科事典 第2版の解説

ロドリゲス【João Rodriguez】

1561‐1634
イエズス会の宣教師。ポルトガル人。1577年に来日,日本語をよくし,通訳として活躍した。ロドリゲスという姓は,ポルトガル人としてきわめてありふれたものであるので,他と区別するため〈ツーズ〉(通事)を添えて〈ツーズ・ロドリゲス〉の名で呼ばれ,よく知られ親しまれた。豊臣秀吉,徳川家康の知遇をうけ,早くから教会側の代弁者として活躍,禁教の時代になってもなお許されて長く滞在したが,1613年ついにマカオに移り,そこで没した。

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大辞林 第三版の解説

ロドリゲス【João Rodriguez】

1561~1634) ポルトガルのイエズス会の宣教師・語学者。1577年(天正5)頃来日し、80年に入会。1613年(慶長18)まで日本に滞在し、通訳として活躍。ツーズ(通事)-ロドリゲスと呼ばれた。著「日本大文典」「日本小文典」「日本教会史」

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世界大百科事典内のロドリゲスの言及

【日本大文典】より

…原題は《Arte da lingoa de Iapam》。イエズス会宣教師ロドリゲスJoão Rodriguez著。3巻1冊。…

【日本料理】より

…室町末期以後になりその基礎がかたまり,江戸後期にいたってそれはほぼ完成の域に達する。ポルトガルの宣教師ロドリゲスが来朝したのは1577年(天正5)であるが,彼は当時の日本で4種類の宴会料理が行われているのを見た。その第1は〈三つの食台の宴会〉,第2は〈五つの食台の宴会〉,第3は〈七つの食台の宴会〉,第4は〈茶を飲むための宴会〉であった。…

※「ロドリゲス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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