改訂新版 世界大百科事典 「ロバ」の意味・わかりやすい解説
ロバ (驢馬)
ass
奇蹄目ウマ科ウマ属の哺乳類。ウマに似るが小型で,ひづめが目だって小さく,耳が長い。尾には先半分にのみ長い毛がはえる。肩高0.9~1.5m,体重は350kgを超えるキャンを除いて260kg前後。体色は淡黄色ないし淡灰色から赤褐色,たてがみと尾の毛は黒褐色。背中に黒色の線が走る。野生種では,北アフリカと東アフリカの一部にすむアフリカノロバEquus asinus(ヌビアノロバE.a. africanus,ソマリノロバE.a.somalicusなどの亜種がある)と,モンゴル,チベットからシリアにかけてすむアジアノロバE.hemionus(クーラン,キャンなどの亜種がある。この二つはいずれも絶滅に瀕(ひん)している),それにアフリカノロバを家畜化した家畜ロバE.a.asinusがある。
野生ロバは,乾燥した半砂漠地帯に,単独あるいは数頭からときに100頭を超える雌雄さまざまの組合せの群れでくらす。水場を必要とするものの数日間水なしで過ごせるうえ,繊維質の多い枯草などの粗食に耐える。近年,著しく個体数が減少し,いずれの種も絶滅に近い状態にあるため生態はほとんど明らかにされていないが,アフリカのシマウマ(グレービーシマウマ)に似た生活をしているものと考えられている。妊娠期間360日前後で,1産1子を生む。
家畜ロバは,野生ロバの粗食や悪条件に耐える性質を受け継ぎ,ウマに比較してスピードでは劣るものの,耐久力に優れた,体の割合にもっとも食物が少なくてすむ家畜とされる。100kgの荷物を運べるうえ,足もとがしっかりしていることから,道路の整備されていない遠隔地への駄用,乗用に適している。ロバの家畜化はウマより古くから行われ,ナイル地方で前4000年にすでにヌビアノロバが家畜化されていた。現在,家畜ロバはほとんど世界中で飼われ,北アメリカには再野生化した群れが見られる。ポアトー(Poitou ass)はフランス原産の大型種で,体色は黒色または黒灰色。ふつうドンキーdonkeyと呼ばれ,ラバの生産用として利用される。アジアノロバは家畜化されていない。
ウマとの雑種
ロバとウマとの雑種にラバ(英名mule)とケッテイ(英名hinny)がある。ラバは雌ウマと雄ロバとの,ケッテイは雄ウマと雌ロバとの雑種でともにほとんど例外なく繁殖力を欠く。ラバはウマに比べて落着きがあり,持久力に優れることと多くの荷物を運べることから古代ローマ時代から多用されてきた。大きさは,ふつうロバより大型で,中型のウマ並み。ケッテイはラバよりも小さい。
執筆者:今泉 吉晴
家畜としてのロバ
家畜化されたロバの起源地は北東アフリカであるとされ,系統的に関係のある現存の野生種として,ヌビアノロバとソマリノロバの2亜種が考えられる。日本では,ロバはむしろ珍しい家畜であるが,ひとたび大陸に目をむけると,中国,中東,アラビア,近東,また北アフリカ,地中海沿岸の南ヨーロッパにおいて多く見いだされ,馬が軍用や貴人の乗用に用いられたのに対して,一般庶民の乗用ないし搬用,曳用(えいよう)家畜として,古代よりおおいに用いられた。
北東アフリカの原産地で家畜化された経緯は明らかではないが,前3200年ころのエジプトではすでに飼養されていた。またシリア,パレスティナ,メソポタミアでも,前2500年ころには飼養されていたことが明らかになっている。ただ,当時ロバがどのように利用されていたかは明らかでない。当時この地域では迅速な軍用には,オナジャーonager(ロバとウマの中間的形態をもち,インドより近東にかけて野生状態で生息していた。オナーゲル,オナガー,ペルシアノロバとも呼ぶ)が用いられ,野生獣であるにもかかわらず,捕獲し,調教して用いられており,ロバは乗用馬の普及以前においても,オナジャーに一歩を譲って,庶民の搬用,曳用家畜の位置に甘んじていた。ヒッタイトによる馬の使用が広まるとともに,ロバの地位はさらにいっそう低下し,いっそう庶民の搬用家畜としての位置におとされ,陽のあたる場に登場することが減少したといってよい。古代エジプトやメソポタミアの絵画や浮彫において,牛やヤギ,羊,馬は,しばしば神聖な動物として描かれているにもかかわらず,ロバがあまり現れないのは,このような農民や平民の駄獣として用いられていたためであろう。旧約聖書に,エジプトの王ファラオがアブラハムに羊,牛,ラクダとともに雄雌各1頭のロバを贈ったことが記されている。イスラエルの民もロバをもっており,新約聖書からも,移動の際に,荷物のほか,女子どもを乗せるものとして用いられていたことが知られる。また搬用家畜としての利用以外に,牛が用いられたのと同様,打穀場で四肢で脱穀したり,犁(すき)をひくのに用いられたことがすでに古代エジプトの絵画からうかがうことができる。またオアシス農村で井戸水をくみあげるのにもしばしば用いられている。
ロバの乳は出が少ないこともあって,あまり用いられない。また肉をたべることもあまり一般的ではない。もちろんその乳の医薬的効果が信じられて飲まれた例は南欧や中国に見いだされる。ローマの著述家大プリニウスは,ローマ帝国の宮廷で,ロバの乳の風呂に入る風習があり,肉をたべる者もいることを指摘している。ただこれらは,きわめて例外的な事例である。
搬用家畜としてのロバの利用は,中近東や地中海地域だけにとどまらず,中央アジアや中国にまで及んだ。ところで農民,牧畜民,そして都市の平民の友としての地位以外にも,軍隊の移動時の物資運搬,そして交易用の搬用家畜としても利用されたが,乾燥地域では,ラクダのほうがより耐久性が強く,長距離のキャラバンではラクダがこれらの役を担うことになった。それに対して,より湿潤な中国では,ロバは大きな役割を果たしたといってよい。とりわけ雲南や四川など,山がちで湿潤な地域での交易など,長距離の物資運搬は,大きくロバに依存していたといってよい。毛沢東によって率いられた長征も,ロバなしには,よく達成されなかったといって過言ではない。
馬に比べて体軀(たいく)も小さく,平民の駄獣であるロバが,劣等視されたのは当然のことである。酷使されただけでなく,従順でありながら,ときに気がすすまないと,てこでも動かないほどの強情さを示す。こういう事情と持ち前の性質のため,ロバはしばしば愚鈍な動物の代表とみなされ,とりわけ地中海世界では,〈ロバ(asinus=ラテン語,asiro=イタリア語,asine=フランス語)〉というと〈馬鹿〉の代名詞にさえなっている。
→家畜
執筆者:谷 泰
神話,伝承
ロバがヨーロッパによく知られるようになったのは古代ローマ時代からのようである。ロバはのろまで,いうことをきかない愚かな動物というイメージが強く,ローマ人はこのような性質の人間をよくロバにたとえている。エジプトでは悪神セトにささげられた。ギリシアではディオニュソスがその背に乗って沼地を通った礼に,ロバを天界にあげて星座に変えたとか,人間の声を与えたとかいう神話がある。ローマ人はかまど神ウェスタの祭(ウェスタリアVestalia,6月9日)にロバを花やパンで飾った。ロバの鳴声はギリシア人には悪い前兆で,ロバが耳を動かすと嵐になるといわれた。人間がロバに変身する話は古代から近代まで広まっている。とくにアポロンによってその耳をロバの耳に変えられたミダス王の話や,ロバに変えられた主人公ルキウスの遍歴を描いたアプレイウスの《黄金のろば》などはよく知られている話である。
古代には夫婦げんかや兵士に対する罰としてロバに逆に乗せて引きまわす見せしめの刑があった。中世になると中部ヨーロッパでも修道士が駄獣としてロバを使ったことから一般にも使用されるようになり,とくに水車場でよく使われた。イエスのロバによるエルサレム入城や,マリアが幼児イエスをつれてのエジプト逃避行にロバに乗ったと伝えられることからキリスト教芸術では7世紀ころから絶好のモティーフになっている。今日でもクリスマス,枝の主日,聖ニコラウスの日にはロバの姿が見られる。一方,ロバは悪魔と結びつけられることも多く,夢魔や魔女はこれに乗ってダンスにいく。また馬や犬と同様霊を見ることができるといわれる。草の中をころがると晴,耳を立てたり,横に走ると雨になるという。
執筆者:谷口 幸男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報