アフリカ大陸北部、モロッコからアルジェリア、チュニジアにかけて、西南西から東北東方向に連なる大褶曲(しゅうきょく)山脈。全長約2000キロメートル、幅は広い所で400キロメートルに達する。山脈の中部から東部にかけては、北側のテル・アトラスAtlas Tellien、南側のサハラ・アトラスAtlas Saharienの2山脈からなる。その構造は、第三紀中新世ごろに、アフリカ大陸の基盤岩を取り込んだ中生代から新生代の堆積(たいせき)岩を南へ押しかぶせて形成された。西部のモロッコ側はテル・アトラス山脈の延長部が続き、オート・アトラス山脈Haut Atlas、アンティ・アトラス山脈Anti Atlasなどの褶曲帯がその南に存在する。
最高峰はモロッコのオート・アトラス山脈中のトゥブカル山(4165メートル)で、これらの高所は雪を頂き、氷食作用の痕跡(こんせき)もある。
アトラス山脈の東部、アルジェリア沿岸のテル・アトラス(海岸アトラス)山脈はいくつかの小谷や盆地に分かれ、都市や農村が分布する。テル・アトラス山脈の南は半乾燥地となり、この南のサハラ・アトラス山脈を越えると、ラグアトをはじめとするオアシスを除いてサハラ砂漠である。オート・アトラス山脈西部にはベルベル人、シュルー農民が住み、牧畜と小麦、トウモロコシの畑作が行われている。オート・アトラス山脈東部は西部より乾燥し、サンハディア人の半遊牧民と、アイート・チョクマン人、アイート・ヤフェルマン人が谷底部で農耕と移牧の生活をしている。オート・アトラス山脈北東部は東部から続くジュラ期の石灰岩からなり、ブー・ナクール山(3354メートル)をはじめとする湿潤で冷涼な山地で、おもにサンハディア人の半遊牧民が住む。オート・アトラス山脈南西部はベニ人、ワライン人などがヒツジの移牧や大麦の栽培を行っている。
古代からヨーロッパ人に知られ、ギリシア神話のアトラスの郷土とされる。ヨーロッパ人で最初にこの山脈を探検したのは1861~1862年ドイツの探検家ゲルハルト・ロルフスG. F. Rohlfs(1831―1896)といわれる。
[堀 信行]
アフリカ北西端,モロッコからアルジェリア,チュニジアにまたがる大山脈の総称。長さは約2400kmで,最高峰はモロッコにあるトゥブカル山(4165m)。地質的には,その大部分はアルプスやヒマラヤの隆起と同時期にあたる第三紀初期の造山運動による褶曲(しゆうきよく)山脈である。アトラスの名は,ヨーロッパ人がここをギリシア神話のアトラスのすみかとみなして名づけたもの。モロッコではアトラス山脈中最大のオート・アトラスを中心に,南西にアンティ・アトラス,北東に中部アトラスが走る。山中ではベルベルが半遊牧や移牧を営み,谷底では農耕も行っている。アルジェリアからチュニジアにかけては,地中海岸に沿って海岸アトラスが走り,その南にはサハラ・アトラスにつながる高原地帯が広がる。海岸アトラスは小さく低い山脈群とそれにはさまれた盆地,平地からなる。ここでは年平均400mmをこえる降水を利用して灌漑農業が行われており,両国の都市や農耕地の多くがここにある。サハラ・アトラスは半乾燥の高原地帯で,半遊牧民が居住する。
執筆者:端 信行
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…一般には,この狭い意味でのマグリブが用いられることが多いので,ここでもそれを中心に述べるが,必要に応じてリビアや西アフリカにも言及することにする。
[自然]
マグリブの自然を特徴づけるものは,地中海,大西洋,アトラス山脈,サハラ砂漠の四つである。マグリブの北と西を囲む地中海と大西洋とからは,雨と温暖な空気がもたらされ,南部の広大なサハラ砂漠からは,乾燥した熱風が吹き込んでくる。…
※「アトラス山脈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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