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ローマの略奪 ローマのりゃくだつSacco di Roma

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ローマの略奪
ローマのりゃくだつ
Sacco di Roma

16世紀前半のイタリア戦争の最中,神聖ローマ皇帝カルル5世のドイツ=スペイン傭兵軍がローマに進駐して,1527年5月6~17日にローマ市内で手当り次第の略奪を働いた事件。ローマ教皇クレメンス7世サンタンジェロ城に閉じ込められていた。この事件は同時代の人々には,戦争に伴う無秩序な混乱としてよりも,教皇庁腐敗堕落に対する神の怒りの審判が下されたものと受取られた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ローマの略奪
ろーまのりゃくだつ
Sacco di Romaイタリア語

1527年5月6日、カール5世の皇帝軍がローマを征服、略奪して、翌年2月まで占拠した事件。ルター派兵卒を含む皇帝軍の見境のない蛮行のゆえに「神の審判」ともいわれた。事件の背景は、1525年皇帝軍がパビーアでフランス軍と戦って、フランソア1世を捕らえたが、翌年1月同王が、イタリアとその他の権益を放棄したマドリード条約で、解放されたことに始まる。すぐに同王は、カール5世の勢力強大化を恐れる教皇、ベネチア、ミラノ、フィレンツェを糾合してコニャック同盟を結成。この同盟への皇帝の返答が「ローマの略奪」であり、メディチ家出身の教皇クレメンス7世などを囚人的立場に置くことであった。1494年からのフランス軍侵入以来、イタリアの災難はこの事件で頂点に達し、優れた文化がヨーロッパに拡散した。時代はこのころより、教養と芸術を貴ぶルネサンス時代から荒々しい反動宗教改革の時代へと転換する。[佐藤眞典]

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