ドイツの数学者。ミュンスターに近い小さな町オステンフェルデに生まれる。父は期待を寄せ、ボン大学へ進ませた。そして政治学を学ばせようとしたが、彼は、プリュッカーの新しい方法による幾何学の講義以外は何も聴かず、卒業の見込みもないまま郷里へ帰った。ついでミュンスター大学でギムナジウムの教員資格検定試験の準備を始めたが、ここでもグデルマンChristoph Gudermann(1798―1852)の数学の講義に出ただけで、他の講義には出ていない。グデルマンのべき級数(整級数)を用いる方法はワイアシュトラースに大きな影響を与えた。1841年、検定試験に合格したが、数学教員の職はなく、僻地(へきち)のギムナジウムで体操の教員となった。15年間、体操を教えながら、アーベル関数を研究した。その研究成果の一部が「アーベル関数論について」と題してクレレが発行している数学雑誌の1854年号に出たのをケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)のリシェロトFriedrich Julius Richelot(1808―1875)が賞賛し、1856年この大学から名誉博士を受けた。同年秋、ベルリン大学助教授になり、1864年には教授に昇格、また各国の科学アカデミー会員に迎えられた。
ライフワークはアーベル関数の研究であった。「一般の関数」について直観に頼ることを極力避けて追究し、複素数が変数の場合には、グデルマンの方法に倣い、べき級数を出発点とし、「関数要素」とそれの「解析的接続」を導入して、「解析関数」を定義してワイアシュトラース流「関数論」を樹立した。そして、これを土台としてアーベル関数の統一的研究に入った。
もっとも簡単な楕円(だえん)関数として「(ぺー)関数」を解析的に構成し、「任意の楕円関数は関数で表現することができる」ことを証明し、楕円関数を研究するには、関数を研究すれば十分であることへ導いた。超楕円積分
の逆関数(アーベル関数)において、五次と六次の場合は解決されているので、R(z)が任意の次数の場合に取り組み、これを解決したのである。
[小堀 憲 2018年12月13日]
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