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ワイスコップ ワイスコップWeiskopf, Franz Karl

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワイスコップ
Weiskopf, Franz Karl

[生]1900.4.3. プラハ
[没]1955.9.14. 東ベルリン
東ドイツの作家。プラハ大学に学ぶ。ジャーナリストとしてベルリンで活躍,1933年ナチス政権成立後アメリカに亡命。第2次世界大戦後チェコスロバキアの中国駐在大使をつとめ,のち東ベルリンで雑誌『新ドイツ文学』 Neue Deutsche Literaturを主宰。小説『平和からの別れ』 Abschied von Frieden (1948) など。

ワイスコップ
Weisskopf, Victor Frederick

[生]1908.9.19. ウィーン
[没]2002.4.21. マサチューセッツ,ニュートン
オーストリア出身のアメリカの物理学者。ゲッティンゲン大学卒業。 1931年学位取得。コペンハーゲンやチューリヒで研究したのち,1937年渡米,帰化 (1942) 。ロチェスター大学助教授を経て,マサチューセッツ工科大学教授 (1946) 。原子核反応の統計的理論,原子炉理論,場の理論,中間子論などを研究し,ジュネーブにあるヨーロッパ原子核研究機関 (セルン CERN) の所長 (1960~65) 。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ワイスコップ
わいすこっぷ
Victor Frederick Weisskopf
(1908―2002)

アメリカの物理学者オーストリアのウィーン生まれ。1926年からウィーン大学古典物理学を学び、1928年からゲッティンゲンでM・ボルンらに量子物理学を学んだ。ウィグナースペクトル線の自然幅に関する研究を行い、1931年学位を取得。シュレーディンガー、ランダウ、ボーアディラックパウリらに師事。1937年アメリカに渡り、ロチェスター大学講師、1940年同准教授。1942年アメリカに帰化。1943年から1947年まではロス・アラモスで原爆製造計画(マンハッタン計画)に参加、原子核反応の統計的理論を展開し、原子炉における中性子の役割を明らかにした。1946年からマサチューセッツ工科大学教授、1961年から5年間ヨーロッパ原子核研究機構(CERN(セルン))の所長を務めた。1951年γ(ガンマ)崩壊に関する平均寿命の研究を行い、フェッシュバッハHerman Feshbach(1917―2000)らと原子核の光学模型を提出。原子のエネルギー準位の幅と寿命との関係を与えるワイスコップ‐ウィグナーの理論で知られる。またディラック理論による電子の自己エネルギーの対数的発散を証明し、後のくりこみ理論に有力な手掛りを与えた。そのほか場の量子論や中間子などに多くの研究がある。1981年ウルフ賞(物理学)を受賞。核兵器の廃絶を訴える平和活動家としても知られる。著書に『量子の革命』La Rvolution des Quanta、『現代の物理学』Physics in the Twentieth Century : Selected Essays(ともに1972)、『サイエンティストに悔いなし――激動の20世紀を生きて』The Privilege of Being a Physicist(1989)などがある。[高橋智子]
『V・F・ワイスコップ著、藤岡由夫訳『自然の驚異――星の進化から生命の発生まで』(1980・河出書房新社) ▽長澤信方訳『サイエンティストに悔いなし――激動の20世紀を生きて』(1990・丸善) ▽三雲昂訳『量子の革命』(1993・丸善) ▽藤田純一・吉田思郎訳『現代の物理学』(講談社学術文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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