ディラック(読み)でぃらっく(英語表記)Paul Adrien Maurice Dirac

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ディラック」の意味・わかりやすい解説

ディラック
でぃらっく
Paul Adrien Maurice Dirac
(1902―1984)

イギリスの理論物理学者。ブリストルに生まれ、初め電気工学を専攻。1921年ブリストル大学を卒業。1925年ケンブリッジ大学において鞍点(あんてん)法を考案したR・ファウラーの下で統計力学の仕事に携わった。1926年コペンハーゲンのボーア研究所を訪れ、ハイゼンベルクらボーア門下の新進の理論家と交流し、放射場の量子論の発展に寄与する一方、フェルミとは独立に、電子に対する量子統計をみいだした。

 1928年、今日「ディラック方程式」とよばれる電子を記述する新しい相対論的な波動方程式を導出した。この方程式には自然に電子のスピンが現れたが、同時に電子のエネルギーが負になる解も出現した。この負のエネルギー状態はすべて電子によって占められていると考え、これを現実の真空とみなした。もしこの「真空」から一つの電子が正のエネルギーに励起されると、電子がもと占めていた位置は孔(あな)があいたようになり、ちょうど質量が電子と同じで荷電が正であるようにふるまう(空孔理論(くうこうりろん))。これを正の電気をもった電子の反粒子陽電子)とみなしたが、1932年アンダーソンは宇宙線の中からこの陽電子を発見した。1933年、ディラックシュレーディンガーとともに新しい形式の原子理論の発見によりノーベル物理学賞を受けた。

 1932年よりケンブリッジ大学数学科ルカス教授となり、電磁場といくつかの電子からなる体系を相対論的に扱った「多時間理論」を展開した。この理論は朝永振一郎(ともながしんいちろう)によってより一般的な「超多時間理論」に発展させられた。のちにアメリカに渡り、晩年はフロリダ州立大学で過ごした。『量子力学の原理』(1930)は量子力学の教科書のなかでももっとも優れたものの一つとされている。

[山崎正勝]

『ディラック著、朝永振一郎他訳『量子力学』(1968・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディラック」の意味・わかりやすい解説

ディラック
Dirac, Paul Adrien Maurice

[生]1902.8.8. ブリストル
[没]1984.10.20. フロリダ,タラハッシー
イギリスの理論物理学者。ブリストル大学で電気工学を学んだが,1925年ケンブリッジ大学セントジョンズ・カレッジに移って R.ファウラーのもとで統計力学を研究した。 26年コペンハーゲンに渡り,N.ボーアのもとで量子論を研究。ケンブリッジ大学教授 (1932) ,フロリダ州立大学教授 (69) 。 26年に E.シュレーディンガーの波動力学と W.ハイゼンベルクの行列力学を統合する変換理論を発表し,また放射場の量子論をつくった。 28年ディラックの量子論として知られる相対論的量子力学を提唱。さらに正電荷をもつ電子,すなわち陽電子の存在を示唆し (→ディラックの電子論 ) ,32年に C.D.アンダーソンによって宇宙線の中に存在が確認された。 E.フェルミとは独立に量子統計力学をつくり (→フェルミ統計 ) ,また電磁場の量子力学を研究して多時間理論を導いた。 33年シュレーディンガーとともにノーベル物理学賞を受賞した。

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