イギリスの理論物理学者。ブリストルに生まれ、初め電気工学を専攻。1921年ブリストル大学を卒業。1925年ケンブリッジ大学において鞍点(あんてん)法を考案したR・ファウラーの下で統計力学の仕事に携わった。1926年コペンハーゲンのボーア研究所を訪れ、ハイゼンベルクらボーア門下の新進の理論家と交流し、放射場の量子論の発展に寄与する一方、フェルミとは独立に、電子に対する量子統計をみいだした。
1928年、今日「ディラック方程式」とよばれる電子を記述する新しい相対論的な波動方程式を導出した。この方程式には自然に電子のスピンが現れたが、同時に電子のエネルギーが負になる解も出現した。この負のエネルギー状態はすべて電子によって占められていると考え、これを現実の真空とみなした。もしこの「真空」から一つの電子が正のエネルギーに励起されると、電子がもと占めていた位置は孔(あな)があいたようになり、ちょうど質量が電子と同じで荷電が正であるようにふるまう(空孔理論(くうこうりろん))。これを正の電気をもった電子の反粒子(陽電子)とみなしたが、1932年アンダーソンは宇宙線の中からこの陽電子を発見した。1933年、ディラックはシュレーディンガーとともに新しい形式の原子理論の発見によりノーベル物理学賞を受けた。
1932年よりケンブリッジ大学数学科ルカス教授となり、電磁場といくつかの電子からなる体系を相対論的に扱った「多時間理論」を展開した。この理論は朝永振一郎(ともながしんいちろう)によってより一般的な「超多時間理論」に発展させられた。のちにアメリカに渡り、晩年はフロリダ州立大学で過ごした。『量子力学の原理』(1930)は量子力学の教科書のなかでももっとも優れたものの一つとされている。
[山崎正勝]
『ディラック著、朝永振一郎他訳『量子力学』(1968・岩波書店)』
イギリスの理論物理学者。ブリストルの生れ。ブリストル大学で電気工学と数学を学んだのち,ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジで数学の研究生となる。1925年に,W.ハイゼンベルクからマトリックス力学についての第1論文の校正刷りを送られ,これを契機に,非可換性こそが本質的な新しい考えであるとして,量子力学の建設に加わっていった。27年セント・ジョンズ・カレッジの特別研究員となり,翌年にはスピンに関する相対論的波動方程式(ディラック方程式)を提出したが,その目的とするところは,アインシュタインの相対論の原理をみたすように波動方程式を組み立てることであった。その結果,これまでは実験事実によって条件づけられた仮定としてのみ理論に入ってきていた電子のスピンが,この方程式からは,一般的帰結として導出された。また,この方程式からのもう一つの重要な帰結は,負のエネルギーをもつ電子の存在に関するものであった。ディラックは30年に空孔理論を提出し,次のように解釈した。すなわち,われわれが真空と呼んでいるものはすべての負エネルギー準位が電子で占められている状態であり,このようにすべての負のエネルギーの状態が一様にふさがっている場合には,観測不可能である。しかし,ふさがっていない負のエネルギー状態は一様性からのずれとなり,観測可能であり,それが空孔,すなわち陽電子としてとらえられるのであると。
こうした電子の反粒子としての陽電子の存在は,32年にC.D.アンダーソンが宇宙線研究において発見したことによって実証された。同時にこの陽電子の発見は,相対論的波動方程式の妥当性をも確証するところとなった。これらの業績によって,ディラックは33年E.シュレーディンガーとともにノーベル物理学賞を受賞した。1932年からは,ケンブリッジのルーカス数学教授となり,その後,電磁場の量子力学の完成に努めた。彼の多時間理論は,超多時間理論への道を開いたといわれる。
執筆者:日野川 静枝
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…電子の相対論的波動方程式はエネルギーが負の解をもつが,その解が引き起こす困難を避けるために,P.A.M.ディラックによって提出された理論を空孔理論という。ディラックは1928年に相対論的共変の要請を満たす波動方程式(ディラック方程式)を発見した。…
…問題のおもしろさはここにある。論理パズルでは,いろいろなヒントから犯人を捜し当てたり,10人くらいを夫婦のカップルに組み分けたりする問題が多いが,ノーベル物理学賞を受けたP.A.M.ディラックの作といわれる次のパズルは最高の傑作である。いろいろの形で紹介されているが,帽子の例はわかりやすい。…
…したがって速度が光速度に比べてはるかに小さいような粒子系に対してしか用いることができない。スピン1/2の電子に対する相対論的な波動方程式は,1928年P.ディラックによって与えられた。彼は,シュレーディンガー方程式のように時間について1階の微分方程式であり,かつ相対論の公理に従うもの,すなわちローレンツ変換に対して不変の形式をもつものを求め,ディラック方程式と呼ばれる波動方程式を得た。…
…さらに,宇宙空間の左右対称性の問題にも関連し,このニュートリノは素粒子物理学の分野で脚光を浴びている。
[反粒子]
P.A.M.ディラックは彼の相対論的な波動方程式によって,電子,陽子,中性子のようにスピン1/2をもった粒子の場合,質量,スピン,寿命などの性質は同じで,電荷などの量子数は大きさが等しく符号が逆の反粒子の存在が理論的に要請されることを示した。ディラック理論発表の4年後の1932年,C.D.アンダーソンは宇宙線の中に電子と質量が同じで反対符号の電荷をもつ陽電子を発見した。…
…したがってn個の粒子が存在する場合には,n個の時間を導入することで相対論的に不変な定式化が可能となる。実際,このような理論はP.A.M.ディラックによって構築され(1933),多時間理論と呼ばれる。そのためには,ふつうのシュレーディンガー表示(そこでは波動関数が時間に依存し,物理量としての演算子は時間によらない)から少なくとも放射場に関しての相互作用表示(そこでは放射場は自由な放射場としてマクスウェルの方程式に従う)に移行し,変換されたシュレーディンガー方程式を一般化して各粒子ごとの時間(t1,t2,……,tn)を導入し,t1=t2=……tn=tの極限でもとの方程式に一致するようにするのである。…
…電子に対する相対論的な波動方程式で,1928年P.A.M.ディラックによって提出された。ディラックは,(1)シュレーディンガー方程式と同様に時間について1階の微分方程式であること,(2)相対論の原理を満たす,つまりローレンツ変換に対し不変であること,(3)エネルギー,運動量,静止質量に関するアインシュタインの関係式が成り立つことの三つの原理から出発して,ディラック方程式と呼ばれる次の方程式を導いた。…
※「ディラック」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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