ソ連時代に活躍した理論物理学者。その業績は、量子力学、統計力学の基礎的問題から、低温物理、固体物性、天体物理、プラズマ理論、原子核、宇宙線、場の量子論、流体力学など、現代物理学のほとんどあらゆる分野にわたる。20世紀最大の理論物理学者の一人であり、また、彼が育てた優れた弟子たちとともに、「ランダウ学派」は当時の世界の理論物理学の発展において中心的役割を果たした。1962年、凝縮系、とくに液体ヘリウムの理論における業績によりノーベル物理学賞を受賞した。
バクーに生まれ、14歳でバクー大学入学、レニングラード大学に移り、1927年、19歳で卒業、同大学院研究生となり、この年、量子統計力学の基本概念である「密度マトリックス」を、フォン・ノイマンと独立に導入し、その天才的才能を世に示した。1929年ヨーロッパに留学、とくにコペンハーゲンでボーアに師事、大きな影響を受けた。この1年半の留学の間に、磁場内の自由電子の量子力学的研究を発表、これが「ランダウ準位」「ランダウ反磁性」の語を生んだのである。1932~1937年ハリコフ(ハルキウ)大学教授、1937年モスクワ大学教授、同時に科学アカデミー所属物理問題研究所理論部長となる。ハリコフ時代のランダウは、強磁性体磁区構造と磁気共鳴の論文、第2種相転移の理論、中性子星の可能性についての論文、超伝導体中間状態の理論、原子核の統計理論など研究面できわめて多産であり、いずれも先駆的役割を果たした。モスクワに移って、カピッツァの液体ヘリウム超流動性の発見に対しての理論的解明にとりかかる。流体力学的運動の量子化から出発して、液体ヘリウムがフォノンとロトンという準粒子の気体であるという結論に至り、その物性を説明し、第二音波の存在を予言した。この1941年論文は、現代の物性理論において支配的な準粒子(素励起)による記述の先駆となったもので、これがノーベル賞の直接対象となった。1946年プラズマ振動に関する論文を発表、「ランダウ減衰」という語を残す。1950年ギンツブルグと共著の超伝導理論を発表。1950年代以降、場の量子論とその応用についての研究が主軸となり、ランダウ学派による場の量子論の方法(グリーン関数の概念)の統計力学、固体物理への応用が展開され、巨視系の量子統計力学的取扱いのスタイルを一変させ、今日のものとした。ランダウ自身、この方法でフェルミ流体理論(1956~1958)を展開した。1962年自動車事故で重傷を負い、その後研究生活に復帰できず、1968年没した。
リフシッツE. M. Lifshitsとの共著になる著書『理論物理学教程』シリーズは、その多面的業績に加えていっそうランダウの名を高めた。統一的視点に貫かれたこの名著は、今日、物理学理論を志す者にとって必読の書であり、20世紀の代表的科学書の一つとして残る。
[荒川 泓]
『L・D・ランダウ、A・I・アヒェゼール、E・M・リフシッツ著、小野周・豊田博慈訳『物理学 力学から物性論まで』(1969・岩波書店)』▽『L・D・ランダウ、E・M・リフシッツ著、恒藤敏彦・広重徹訳『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程 場の古典論 電気力学、特殊および一般相対性理論』(1978・東京図書)』▽『L・D・ランダウ、E・M・リフシッツ著、竹内均訳『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程 流体力学1、2』(1979~1980・東京図書)』▽『L・D・ランダウ、E・M・リフシッツ著、井上健男他訳『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程 電磁気学 連続媒質の電気力学1、2』(1982~1983・東京図書)』▽『L・D・ランダウ、E・M・リフシッツ著、好村滋洋他訳『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程 量子力学 非相対論的理論1、2』改訂新版(1984・東京図書)』▽『L・D・ランダウ、E・M・リフシッツ著、好村滋洋・井上健男訳『ランダウ=リフシッツ物理学小教程 量子力学』(1984・東京図書)』▽『L・D・ランダウ、E・M・リフシッツ著、水戸巌他訳『ランダウ=リフシッツ物理学小教程 力学・場の理論』(1984・東京図書)』▽『L・D・ランダウ、Y・B・ルーメル著、小島英夫訳『相対性理論とは何か』(1988・大竹出版)』▽『L・D・ランダウ、E・M・リフシッツ著、佐藤常三・石橋善弘訳『ランダウ=リフシッツ理論物理学教程 弾性理論』増補新版(1989・東京図書)』▽『マイヤ・ベサラプ著、金光不二夫訳『ランダウの生涯――ノーベル賞科学者の知と愛』(1973・東京図書)』▽『アンナ・リワノワ著、松川秀郎訳『ランダウの素顔――現代物理学の万能選手』新装版(1986・東京図書)』
ドイツの数学者。ベルリンの生まれ。1909~1933年ゲッティンゲン大学教授。ユダヤ人であることを理由に1933年教職を追われ、ベルリンで没した。整数論、とくに「解析的整数論」に大きな貢献をした。すなわち、ディリクレ級数論やラプラス変換論に興味をもち、それらを「整数論」や「格子点問題(方眼紙上に半径rの円を描いたときにその中に含まれる格子点の数をrで表す)」などに応用した。また一般タウバー型定理を用いて「素数定理の別証明」を与え(1908)、また「整関数の値域に関するピカールの定理の別証明」も与えた(1904)。著書に『Vorlesungen über Zahlentheorie』全3巻(1929)がある。
[吉田耕作]
ソ連の物理学者。バクーの生れ。バクー大学,レニングラード大学に学ぶ。1929年から1年半の間,ドイツ,スイス,オランダ,イギリス,ベルギー,デンマークを歴訪,コペンハーゲンではN.ボーアの下で,R.F.パイエルスとともに不確定性原理を相対論的に拡張する研究や,磁場中におかれた自由電子のふるまいに関する量子論的研究を行った。帰国後,レニングラードの物理・工学研究所,ウクライナの物理・工学研究所を経て37年モスクワの物理学問題研究所の理論物理学部長に就任。
同研究所長のP.L.カピッツァの液体ヘリウムの研究に関連して,液体ヘリウムの超流動の理論的解明を行い,この業績により62年ノーベル物理学賞を受賞した。このほか,反磁性,プラズマ振動,超伝導,場の量子論とその応用などの研究でも多くの業績を残し,またE.M.リフシッツとの共著による《理論物理学教程》は,すぐれた教科書として多くの国で用いられている。62年自動車事故で重傷を負い,一命はとりとめたものの研究には復帰できなかった。
執筆者:日野川 静枝
ドイツの数学者。ベルリンで医者の子として生まれた。ベルリン大学で学んだ後,1909年にゲッティンゲン大学の教授になったが,33年にはナチス・ドイツのユダヤ人弾圧政策のため,この職を辞することを余儀なくされた。この後亡くなる38年までにドイツ国外で何度か講義をした。ランダウの研究はおもに解析的整数論の確立に向けられた。とくに素数の分布についての研究においては,素数定理のJ.アダマールやド・ラ・バレ・プサンC.de la Vallée Poussinの証明より簡単な証明を考え,一般の代数体の素イデアルの分布をも扱うことを可能にした。また定数でない整関数はたかだか一つの値を除いてすべての値をとるというピカールの定理を一般化するなど関数論にも貢献した。
執筆者:斎藤 裕
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…逆に転移点より下側では後者が勝って秩序状態となり,対称性の低い状態が実現する。 二次相転移を扱う一般論としては,L.D.ランダウの現象論がある。それは,自由エネルギーFを秩序パラメーターηの関数と考え,Fがηに関して,図3のようにふるまうとして相転移のようすを説明する。…
…恒星がその進化の終末に到達する中性子物質からなる超高密度の星。中性子星の存在は,すでに1930年代にL.D.ランダウ,J.R.オッペンハイマーらにより理論的に予言されていた。また超新星爆発の際に中性子星が残骸としてできるとする考えを,W.バーデとツビッキーF.Zwickyが提案している。…
…超流動が起こる機構は4Heと3Heとではまったく異なり,前者では4He原子がボース統計に従うことと原子間に斥力があることが,また後者では3He原子がフェルミ統計に従うことと原子間に引力があることが原因になっている。4Heの超流動理論は1930年代にF.ロンドン,L.D.ランダウらによって作られ,3Heの超流動については超伝導のBCS理論の出現(1957)直後からその応用として多くの人たちによって考えられてきた。
[液体ヘリウム4の超流動]
4Heはボース粒子であってボース統計に従う。…
※「ランダウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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