シュレーディンガー(読み)しゅれーでぃんがー(英語表記)Erwin Schrödinger

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュレーディンガー」の意味・わかりやすい解説

シュレーディンガー
しゅれーでぃんがー
Erwin Schrödinger
(1887―1961)

オーストリア物理学者波動力学の建設者であり、1933年ディラックとともに「新しい形式の原子理論の発見」によりノーベル物理学賞を受賞。ウィーンに生まれる。少年時代から多方面に興味と才能を示し、ギムナジウムでは自然科学の課目のほか、古典語文法の厳密さ、ドイツ詩の美を好んだ。

 1906年ウィーン大学に入学、物理学を専攻するが、ボルツマンの後任の物理学教授ハーゼンエールFriedrich Hasenöhrl(1874―1915)に強い影響を受け、彼を通じてボルツマンにも傾倒した。「ボルツマンの考えた道こそ科学における私の初恋といってもよい」と後年語っている。この時期、連続体の固有値問題の研究を行い、これが後の業績の基礎となった。第一次世界大戦では軍務に服した。1920年イエナ大学に行き、ついでシュトゥットガルトブレスラウの大学を経て、1921年チューリヒ大学の数理物理学教授となり、6年間在職。同僚にはワイルやデバイらがいた。「この時期こそ私にとってもっとも実り多く、喜びに満ちた時代」と回想している。このころ彼の研究は、固体比熱の問題、熱力学の諸問題からしだいに原子スペクトルの研究に移行していった。またヘルムホルツらの影響で色の生理学的研究にも一時熱中した。彼の最大の業績である波動方程式は、1925~1926年になされた。

 ド・ブローイが電子も波動性を示すという物質波の考えを示したのは1923年であるが、シュレーディンガーはこの考えのなかに新しい原子構造論建設のヒントをみいだした。ボーアの原子構造論は当時もっとも説得力のある理論とされていたが、そこに現れる量子条件、つまりその整数性は、シュレーディンガーにはいかにも不自然に思われた。この整数性と、弦の振動の際に現れる整数性とを関連させて考えれば、電子(原子核の周りを回っている電子)の波動性の解明の鍵(かぎ)となろう。このような考えを一般化すれば量子化の考えの本質が明らかになるであろう。これが波動力学の発想であった。

 古典力学ハミルトンヤコービ方程式から出発して変分問題を解き、エネルギーを表すパラメーターを含む偏微分方程式を得た。これを水素原子に応用した結果、エネルギーのとる値はボーア理論のものと一致した。こうして基礎方程式としてのシュレーディンガー方程式が確立され(1926)、以後波動力学の精力的な展開が試みられたのである。

 当時、ハイゼンベルクらによる行列力学があったが、調和振動子、摂動(せつどう)論、シュタルク効果などについての波動力学の計算結果は行列力学によるものとよく一致した。考え方も理論の形式も異なる二つの力学が同一の結果を与えるというのは、単なる偶然とは考えがたい。波動力学から行列力学を導くことを試み、両者が同等であることを示すのに成功(1926)、この証明はまもなくディラックの「変換理論」によって完全にされ、両者を統合した量子力学の成立をみることになった。

 1927年ベルリン大学に移ったが、1933年ナチスの台頭とともにドイツを去り、イギリス、オーストリア、イタリアなど各地を転々とし、最後にダブリンに落ち着き、理論物理学研究所の教授となった。この間、統一場の理論を含む多くの課題を研究し続けた。また生物物理学の考察から『生命とは何か』(1944)を著し、『科学とヒューマニズム』(1952)、『自然とギリシア人』(1954)などの科学啓蒙(けいもう)書もある。

 生涯を通じて共同研究者をもたず、自己の信念に忠実に、独自の道を歩んだ孤高の研究者であった。ソルベー会議の際、身の回り品を入れたリュックサックを背に駅からホテルまでを歩いた姿が、彼の人柄を示す逸話として語られている。

[藤村 淳]

『湯川秀樹監修『シュレーディンガー選集』全2巻(1974・共立出版)』『岡小天他訳『生命とは何か』(岩波新書/岩波文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュレーディンガー」の意味・わかりやすい解説

シュレーディンガー
Schrödinger, Erwin

[生]1887.8.12. ウィーン
[没]1961.1.4. ウィーン
オーストリアの理論物理学者。ウィーン大学に学び,第1次世界大戦中は軍務に服したが,シュツットガルト大学教授 (1921) ,ブレスラウ (現ウロツワフ) ,チューリヒの各大学教授を経て,M.プランクの跡を継いでベルリン大学教授 (27) 。 1933年ナチスに追われオーストリアに帰ったのち,38年イギリスに渡り,ダブリン高等研究所教授 (40) 。 56年オーストリアに帰りウィーン大学教授。 26年に,L.ド・ブロイの考えを拡張して波動方程式を導き,W.ハイゼンベルクらの行列力学に対して,物質の波動性に基づいた波動力学を打立てた (→シュレーディンガーの波動方程式 ) 。さらに行列力学と波動力学の数学的等価性の証明,波動方程式の解である波動関数の物理的解釈の問題や,観測問題の哲学的研究など,量子力学発展に対して最大級の貢献をなした。ほかに生命現象が統計的因果律に支配されているという独自の考えを展開し,のちの分子生物学の発展に大きな刺激を与えたことでも知られる。量子力学の理論的著書のほかに『私の世界観』 Meine Weltansicht (61) ,『生命とは何か』 What is Life? (44) などがある。 33年 P.ディラックとともにノーベル物理学賞受賞。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

期日前投票

期日前投票制度は、2003年6月11日公布、同年12月1日施行の改正公職選挙法によって創設された。投票は原則として投票日に行われるものであるが、この制度によって、選挙の公示日(告示日)の翌日から投票日...

期日前投票の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android