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一二・九運動 いちに・きゅううんどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

一二・九運動
いちに・きゅううんどう

1935年 12月9日北平 (現北京) で行われた中国学生の抗日デモを契機として,全国に拡大した抗日運動。 31年の満州事変以後,日本の華北への侵略政策は公然化し,華北分離工作が積極的に推進され,35年 11月殷汝耕 (いんじょこう) に河北省東部に冀東 (きとう) 防共自治委員会 (12月冀東防共自治政府と改称) をつくらせ,12月には冀察政務委員会をつくらせようとしていた。国民政府は「安内攘外」を掲げて共産党に対する討伐作戦を進める一方,日本に対しては妥協的方針をとり,抗日運動にはきびしい弾圧をもってのぞんでいた。 12月9日北平の数千の学生は,防共自治運動反対,対日交渉経過の公開,内戦停止,抗日運動弾圧反対,言論集会の自由要求などを掲げて請願デモを行なった。デモは鎮圧され,多数の負傷者と逮捕者を出したが,16日には再び1万名の抗日デモが展開され,市民大会には約 10万の市民が参加。さらに運動は杭州,南京,漢口,上海,広州,西安など全国主要都市に拡大し,各地で学生会や救国会が組織され,36年5月には中国学生救国会連合会が結成された。この間,学生たちは下郷 (かきょう) 運動に入り,宣伝団を組織して,農村,工場,軍隊のなかに救国運動を宣伝し,抗日救国運動の基盤を広げ,36年における抗日民族統一戦線運動の拡大と深化を生み出す重要な契機となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

一二・九運動
いちにきゅううんどう

1935年12月9日、中国、北京(ペキン)で起こり、その後全国に波及した学生の抗日救国運動。中国の東北地方に「満州国」をつくった日本は、侵略の手を華北にも伸ばして、1935年になると国民政府に対し、河北、察哈爾(チャハル)両省からの中央軍の撤退を強要する一方、河北省東部に傀儡(かいらい)政権、冀東(きとう)防共自治政府をつくった。ところが国民政府は日本の意をいれて北京に冀察(きさつ)政務委員会を組織して事態を糊塗(こと)したうえ、抗日運動弾圧を強化した。このように「先安内後攘外」(国内平定が先決、外敵は後回し)という方針で中共地区攻撃に専念する国民政府に反対し、抗日民族統一戦線結成を説く中共の方針に共感を示した学生たちは、12月9日、北京で大規模な請願デモを起こし、冀察政務委員会の成立を延期させた。さらに学生たちは南下拡大宣伝団を組織し、農村への「下郷(かきょう)運動」によって影響を広めた。また上海(シャンハイ)その他にも波及し、各界人士による抗日救国会運動展開の契機ともなり、1937年7月に始まる抗日全面戦争前夜の、抗日民族統一戦線結成に大きな役割を果たす運動となった。[安藤彦太郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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