[概説]
大学における教養諸学(自由学芸)は,古代ギリシアからヘレニズム時代の学問にその起源を持つ。児玉善仁によれば,アルテス・リベラーレス(artes liberales),すなわち自由学芸は,古代ギリシアからヘレニズム時代にかけてエンキュクリオス・パイデイア(εγκύκλιος παιδεία: 円環的教養)と位置づけられた諸学芸に由来する。諸学芸とは今日でいう学問分野を表し,具体的には文法や修辞学であり,また幾何学などである。ギリシア人にとって,これらの学芸を身につけることは「教養」をもつことであった。この円環的教養が古代ローマに受け継がれて自由学芸となった。その際,「円環的」が「自由な」という概念に置換されたとされる。
古代から中世へと自由学芸の橋渡しをしたアウグスティヌスは,その「秩序論」の中で文法,修辞学,弁証術,算術,幾何学,天文学,音楽について論じ,アルテス・リベラーレスを,理性を鍛錬することによって世界の内的秩序,宇宙の秩序の理解へと導く道具として神学の基礎に位置づけた(児玉,2007)。プラトンは自由学芸を哲学(知恵)に至るための基礎教養とし,キケロはそれを弁論家に不可欠な基礎教養としたが(岩村,2007),アウグスティヌスによって,自由学芸は神学を学ぶための基礎知識とされたのである。なお児玉も指摘するとおり,マルーは,古代の「エンキュクリオス」には必ずしも円環的の意味はないとし,エンキュクリオス・パイデイアに対して「culture générale」(一般的基礎教養)なる訳語(フランス語)を提案している。
これらの自由学芸はやがてマルティヌス・カッペラの寓話「文献学とメルクリウスの結婚」が契機となって,カッシオドルスによって,ほかにもある学芸の中から七つの学芸,すなわち文法,修辞学,弁証術(弁証法),算術,幾何学,天文学,音楽に集約された。さらにカッシオドルスは前者3科目と後者4科目を区別して取り扱ったが,数や形を取り扱い,その内容から世界の秩序を理解する科目と考えられる後者4科目は,ボエティウスによってもほかの諸学から区別されていた。こうして,言語の三学(trivium: 三つの道)と数・形の四科(quadrivium: 四つの道),すなわち自由七科(seven liberal arts)が成立し,それは中世を数百年にわたり伝えられて,12世紀に誕生した大学で教養諸学として教授されることになったのである。この自由七科は中世大学を生き延び,学問の発展を取り込みながら近代の大学に受容され,日本にも到達した。
ここで指摘すべき重要なことは,すべての学問(doctorina)の道具とされた自由七科はいわば学術分野であり,学校などの組織で教授されるべき「科目」であったことである。つまり,今日のカリキュラム概念の脈絡でいえば,リベラルアーツは専門教育あるいは専門科目となんら対立する概念ではなく,むしろ現在の大学において「社会学」や「生物学」がそれを専攻する学生にとって専門科目であるように,それ自身は各分野(ディシプリン)を表す専門科目であるといえる。
では,一般教育を形成するべき一般科目は何であり,どこにあるのであろうか。それは,これまでそうであったように,第1に専門基礎科目として存在する。中世においても,医師には文献を読み,それを説明するために文法が,病気の原因の探求と治療のために論理学が必要であったように,今日の化学には物理学,工学には数学が必須であり,法学などの人文社会系諸学には文法,修辞学,論理学を内容として含む科目が必要とされよう。これらはみな専門基礎としての一般科目である。そして第2に,授業の技法としてそれは存在するであろう。「古典物理学の誕生と歴史」なる物理学史は,内容的な物理学を背景に人間の精神と学問形成,大学・学術機関とその体制,教育と国家間人的移動など,多様な観点から授業設計・実践が可能であり,専攻分野に関わりなく,学生の人間的能力の涵養にきわめて有用であるといえる。
日本では,帝国大学令第1条の「学術技芸」なる語にあるように,自由学芸を受容しただけではなく,機械的技芸の系譜をも大学に受容した。この専門科目につながるディシプリンの受容は,一般教育にとって障害になるどころか,むしろ一般教育の創造にとって不可欠のものであると問い直すことも可能である。大学はヨーロッパ中世において神学部,法学部,医学部の職業人養成の学部から出発した。学生が職業実践を行うべく大学に入学するのは現在も同じであり,職業と大学での教育内容の相関は以前にも増して重要となっている。1991年(平成3)の大学設置基準の大綱化以降,教養部が消滅し,一般科目と専門科目の区別がなくなった現在こそ,一般科目が専門科目と真に統合されたカリキュラムのデザインによる一般教育の創造が待たれているのである。
著者: 赤羽良一
[教養]
第2次世界大戦後の日本のフォーディズム体制において,産業界は当初から教養教育を軽視し,理工系の大卒人材確保の必要から専門教育を重視していた。ところが,1970年代以後,高度経済成長路線の転換のなかで,産業界はグローバル競争を勝ち抜くために国際人の養成を目指す教養教育の必要性を訴えるようになる。1989年経済同友会は提言「新しい個の育成」を,96年,日本経済団体連合会は「創造的な人材の育成に向けて」を発表し,「独創性や創造性」「自己責任」「多様性」「能動性」といった能力を備え,幅広い教養を身につけた主体の育成を大学での教育に期待する。これは「集団性,協調性,同質性,順応性」が重視された高度経済成長期の主体とは異なる,新自由主義時代に適合した労働主体である。
1980年代末から90年代前半にかけて顕在化してきた,こうしたポストフォーディズム的な主体を育成するための教養教育を,新自由主義(Neo Liberalism)の呼称にならって「新しい教養教育Neo Liberal Arts」と名づける向きもある(上垣豊編著『市場化する大学と教養教育の危機』)。また,コミュニケーション能力や創造性が要求され,とりわけ対人関係能力が重視される新たな能力主義は「ハイパー・メリトクラシー」とも呼称される(本田由紀,2005)。従来の専門教育と教養教育が効率的に一元化されて構想される「新しい教養」は,自己責任を遵守する独創的で柔軟な主体性の形成を目的とする。伝統的な教養教育が学識の習得による自己の解放を目的としたのに対して,現代の「新しい教養」はしかるべき企業に就職し,グローバル市場で競争する能力の獲得を前提としている。
2000年の大学審議会答申「グローバル化時代の一般教育に求められる高等教育の在り方について」,2002年の中央教育審議会答申「新しい時代における教養教育の在り方について」でも,同様の教養観に即して引き続き「主体性ある人間としての自律する力,新しい時代の創造に向かう行動力,他者の立場に立つ想像力」「グローバル化にともなう異文化理解とそのための語学能力」「国語力としての古典的教養」「情報および科学リテラシーの向上」などが主張される。
大学教育において「キャリア開発」が重要視され,コミュニケーション能力,IT活用能力,職業観の育成が提唱されている。その理念は「自己と他者の理解」「世界や社会の理解」「スキルや経験の獲得」「課題の発見と解決」といった能力の獲得である。職業に必要な技法や知識を教える専門教育とは異なり,教養教育においては人間の生き方をめぐる精神的な問題が根本的に問われる。そもそもキャリアは職業選択と就職の問題に限定されず,広義には生涯に及ぶ人生設計を含意する。この点でキャリア開発はいかに生きるのかという人生観を洗練させる教養教育の理念と通底しており,既存の労働文化のあり方そのものを批判的に問い直すという意味で創造的な主体形成に寄与するはずである。
著者: 西山雄二
[労働市場]
第2次世界大戦後,アメリカ合衆国の大学のリベラルアーツ教育をモデルに日本に導入された一般教育は,学問を通じ広い知識を身に付けさせるとともに,ものを見る目や自主的・総合的に考える力を養うことがその理念とされた。労働市場の側から言えば,その養成しようとする力は見えやすい職業能力ではないものの,市場が要求するところと矛盾するものではない。近年の社会経済の変化や日本型雇用における人材観からすれば,むしろ適合的な教育理念ともいえる。
すなわちグローバル経済化の進展とともに社会変化はその頻度も変動の幅も大きくなっているが,そこで国際的な競争を続ける各国が大学に対して求めるのは,この変動社会に対応した人材養成である。そこで養成すべき能力とはどのようなものか。1990年代には各国政府や経済団体においてその能力を特定するための取組みが始まった。
イギリスではデアリング報告(1997年)が,卒業生の将来の成功に役立つ能力として,コミュニケーションスキルや学び方の学習などを提示し,またアメリカやオーストラリアでも同種の検討がなされた。OECDにおいては1997年からDeSeCo(Definition and Selection of Competencies: Theoretical and Conceptual Foundations)プロジェクトを立ち上げ,現代社会において個人がよりよく生き,同時に持続可能な経済成長と社会的公正を実現するための力としての「キー・コンピテンシー」を次の三つのカテゴリーで示した。すなわち「異質な集団で交流する」「自律的に活動する」「相互作用的に道具を用いる」である。
今後の社会において必要な個人の能力を定義する試みは日本でも行われ,「人間力」「社会人基礎力」「就職基礎能力」などが各省庁によって示された。これらの能力観は大学教育に対しても影響を与え,これを高等教育の学問体系にどう位置づけ,教育システムのなかでどのように育成するのかが課題となった。中央教育審議会答申「学士課程教育の構築に向けて」(2008年)は,各大学が設定すべき育成目標の参考指針として「学士力」を示し,さらに同審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて―生涯学び続け,主体的に考える力を育成する大学へ」(2012年)では,能動的学修という学びの方法に言及した。改めて一般教育の理念に戻れば,これらの答申が描く能力観とそれとの重なりは極めて大きいといえる。
また,日本の雇用慣行との関係で言えば,新規学卒者を大くくりの職種枠で採用し,採用後の企業内能力開発に注力する多くの企業においては,採用基準として具体的な職業能力より「人柄」に重きを置くことが多い。その内実はあいまいなものではあるが,求められているものが専門教育の学習成果にとどまらず,一般教育の理念と整合するものであることは指摘できよう。ただし,これまでの一般教育がこの教育理念を体現したものであったかどうかは別問題である。
著者: 小杉礼子
[概説]◎廣川洋一『ギリシア人の教育―教養とはなにか』岩波書店,1990.
参考文献: 児玉善仁『イタリアの中世大学―その成立と変容』名古屋大学出版会,2007.
参考文献: 岩村清太『ヨーロッパ中世の自由学芸と教育』知泉書館,2007.
参考文献: H.I. マルー著,横尾壮英・飯尾都人・岩村清太訳『古代教育文化史』岩波書店,2008.
参考文献: 上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成 サン=ヴィクトル学派』凡社,1996.
参考文献: K. リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』凡社,2006.
[教養]◎上垣豊編著『市場化する大学と教養教育の危機』洛北出版,2009.
参考文献: 本田由紀『多元化する「能力」と日本社会―ハイパー・メリトクラシー化のなかで』NTT出版,2005.
[労働市場]◎ドミニク・S. ライチェン,ローラ・H. サルガニク編著,立田慶裕監訳『キー・コンピテンシー―国際標準の学力をめざして』明石書店,2006.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
専門教育または職業教育に対置され、自由な民主的社会を担う有能な成員になるように、人間として、市民、国民、生産者として必要な一般的、基礎的また総合的な知識・技能・能力・態度を習得させる教育を意味する。一般教育の原型は、古代ギリシアの自由民の教育(文法、修辞学、弁証法、算術、幾何、天文学、音楽からなる自由七科)に求められるが、しかしそれは生産者階級(奴隷)を除外した一部貴族階級のための高踏的な教育であった。この自由教育の理念は、ルネサンス期の人文主義humanismの教育やドイツの新人文主義Neuhumanismusの運動にも継承され、そこでは人間の諸能力の全面的、調和的発達が目ざされた。ところが、ここでもこの教育を享受できたのは一部の富裕階級に限られ、その内容は依然として高踏的、貴族的性格を帯びていた。
イギリスの産業革命以来の科学・技術の進歩、労働者階級の勃興(ぼっこう)は、ギリシア以来の自由教育の伝統の社会的基盤をぐらつかせた。たとえば、19世紀末には、大学進学の特権を独占していた、人文主義的教養を目ざすギムナジウム(ドイツの中等学校)に対して、実科ギムナジウムが同等の特権を要求するようになった。また、民主主義の発達により、社会的な身分、経済的状態、人種、性別、思想、信条にかかわりなく、すべての人が平等に教育を受ける権利があることが主張されるようになった。このようにして、旧来の伝統的な自由教育はその内容と対象に関して、近代的な修正を受けて装いを新たにし、それが一般教育ということばでよばれるようになったのである。
[林 忠幸]
このことばが日本で広く知られるようになったのは、第二次世界大戦後の大学改革以後のことである。戦前の大学に対して、戦後の新制大学はアメリカの大学教育制度の影響を受けて、一般教育を重視した。それは、「学問の専門化によって起こりうる欠陥を除き、知識の調和を保ち、総合的かつ自主的判断力を養う」ためである。そのために大学では、人文科学、社会科学、自然科学の3分野にわたり、それぞれ12単位以上ずつ修得させることになっていた。しかし、現行の大学設置基準では、各大学の自主的判断により履修方法等に弾力的な運用が認められている。
[林 忠幸]
『大学基準協会編『大学における一般教育』全三巻(1949~51)』▽『堀尾輝久著『現代教育の思想と構造』(1971・岩波書店)』
直接に職業準備や専門技術の習得をめざすものでなく,民主主義社会におけるすべての市民に共通に必要な教養を与えることを目的とする教育をさすが,とくに第2次大戦後の日本の大学において専門教育と対置して使われてきた。学生が専門的分野の教育・研究に入る前に,またはそれと並行して,人文科学,社会科学,自然科学の基本的な科目を学ぶことにより,広い学問的視野と開かれた世界観を身につけ,専門教育の基盤となる自由な思考と人間的教養を獲得することを目的とした。
少数者のための自由教育liberal educationとは区別され,1930年代のアメリカの大学において高等教育の細分化を是正し,その教育内容の再編成をめざしたゼネラル・エデュケーションgeneral educationに由来する。46年,第1次アメリカ教育使節団は,第2次大戦前の日本の高等教育の特徴として,専門化が早すぎ,狭い人間形成と職業人養成に片寄っていることを批判し,一般教育の導入を勧告,その後の大学改革において実現をみた。主として,大学の教育課程,教養部において行われたが,戦後の展開のなかで,一般教育を専門課程の単なる準備段階として軽視したり,専門教育への従属と解消を図る傾向がでてきた。教養部にみられる教育・研究条件の制度的・財政的格差の存在も,一般教育の発展を阻害してきた。このため日本の国民教育の一環として,大学における一般教育の存在意義をあらためて問い直し,専門教育との有機的結合をはかる制度と内容両面にわたる改革が必要とされ,91年の大学審議会の答申にもとづいて大学設置基準が大改定された結果,大学における一般教育・専門教育科目の区分はなくなり,卒業に必要な総単位数のみが定められることになった。
→専門教育 →普通教育
執筆者:鈴木 英一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中世では一般に四科より三科が重視され,三科のうちでもはじめは文法,のちには論理学が重視されるなど時代による変化はあったが,言語を中核に,抽象的記号への習熟と論理的推理力の訓練に重きを置くことでは一貫し,近代に至るまで西欧の知的エリートの教養のあり方を支配した。第1次大戦以後,学問の専門細分化と実利追従への批判としてあらわれた一般教育の理念は,この自由学芸の伝統を継承しつつ自然科学,社会科学をも新たな教養として積極的に位置づけようとしたものである。一般教育【宮沢 康人】。…
…今日では一般に,大学における学問の各専門分野の教育あるいは中等教育段階の専門的技能教育の両者を指している。 とくに第2次大戦後の日本の大学においては,専門教育のための科目と一般教育科目が区別されてきた。日本では,制度上,大学の目的として,〈深く専門の学芸を教授研究する〉(学校教育法52条)と掲げられているように,大学は専門教育を行うことが要請されている。…
…日本国憲法26条,教育基本法4条で,義務教育の内容は普通教育と規定し,学校教育法でも,義務教育である小学校,中学校の目的をそれぞれ初等普通教育,中等普通教育としているほか,高等学校の目的として,高等普通教育を専門教育とともに施すこととされている。これに対し,高等教育(大学)においては,普通教育に代わり,一般教育が同義の用語として使われている。 普通教育の理念は,古代ギリシアにおける一部の少数自由民のための,身体,道徳,知性の調和した発達をめざした自由教育にさかのぼることができる。…
※「一般教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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