アメリカ教育使節団(読み)あめりかきょういくしせつだん(英語表記)United States Education Mission to Japan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アメリカ教育使節団」の意味・わかりやすい解説

アメリカ教育使節団
あめりかきょういくしせつだん
United States Education Mission to Japan

第二次世界大戦後、占領下日本の教育再建のため、連合国最高司令部GHQ)の要請に基づいて、アメリカ政府から派遣された使節団。第一次教育使節団は1946年(昭和21)3月に27名、第二次教育使節団は1950年8月に5名がそれぞれ来日した。第一次教育使節団は、約1か月間滞在して日本の教育事情を調査研究したのち、連合国最高司令官報告書を提出した。その報告書の序論で、「教師の最善の能力は、自由の空気のなかにおいてのみ十分に現される。この空気をつくりだすことが行政官の仕事なのであって、その反対の空気をつくることではない。子供のもつ測り知れない資質は、自由主義という日光の下においてのみ豊かな実を結ぶものである。」と、アメリカ自由主義の教育理念を中心に据え、教育の近代化についての諸提案を行った。この報告書は、戦後日本における教育の民主化を推進するための諸原則のもとに具体的な提案を行ったもので、前書き、序論、第1章日本の「教育の目的および内容」、第2章「国語の改革」、第3章「初等および中等学校の教育行政」、第4章「教授法と教師養成教育」、第5章「成人教育」、第6章「高等教育」、本報告の要旨、で構成されている。とくに、教育制度については、6年制小学校と3年制下級中等学校における9か年の無月謝制義務教育および男女共学制、3年制上級中等学校における無月謝制、男女共学制、希望者全員入学制の実現などを勧告した。また、修身・歴史教科書の改訂保健体育職業教育の重視、ローマ字の採用、教育行政の地方分権化、教師養成の水準向上、成人教育の充実、高等教育の拡大などについても提案し、第二次世界大戦後の日本の教育改革に重要な影響を与えた。

 第二次教育使節団報告書では、第一次の勧告事項の進行と成果とを検討し、残された課題について補足的な勧告を行ったが、当時の占領政策における反共主義化への転換も反映していた。その内容は、前書き、初等中等教育行政、教授法と教師養成教育、高等教育、社会教育、国語の改革、その他教育上の重要な諸問題(教員団体、職業教育、私学教育、道徳的精神的教育)から構成されている。

 なお、ドイツにも1946年夏にアメリカ教育使節団が派遣され、日本と同様に教育の民主化のための改革を勧告したが、その影響はあまりみられなかった。

[真野宮雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「アメリカ教育使節団」の意味・わかりやすい解説

アメリカ教育使節団 (アメリカきょういくしせつだん)
United States Education Mission

第2次世界大戦後,アメリカは占領地域である日本とドイツの教育の再建のために使節団を送り,教育事情を調査させるとともに教育の再建策についてアメリカ占領軍責任者に報告書を提出させた。対日使節団は1946年3月と50年9月の2次にわたり来日した。第1次使節団(団長J.D. ストッダードほかI.L. キャンデルら総勢27名)は,教育の自由を説き,公選制教育委員会制度や男女共学,6・3・3制の学校制度などの導入を勧告する報告書を提出した。マッカーサーはこれを支持し,戦後教育改革に大きな影響を与えた(〈教育刷新委員会〉の項目参照)。第2次使節団(団長W.E. ギブンズ,総勢5名)は,報告書で〈極東において共産主義に対抗する最大の武器の一つは,日本の啓発された選挙民である〉と指摘し,国際情勢の変化による教育政策の転換を示唆した。なお,対独教育使節団(団長G.F. ズーク,総勢10名)は,1946年に派遣された。その報告書からは,ドイツの文化に対するアメリカ側の高い評価がうかがわれる。
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百科事典マイペディア 「アメリカ教育使節団」の意味・わかりやすい解説

アメリカ教育使節団【アメリカきょういくしせつだん】

1946年と1950年に戦後日本の教育改革のために占領軍が招聘(しょうへい)したアメリカの使節団。その報告書,とりわけ第1次教育使節団報告書は学校制度として6・3・3制(6・3制),教育行政制度として地方分権型の公選制教育委員会などを勧告して,戦前の国家主義教育を批判するとともに,戦後日本の教育の民主化に影響を与えた。
→関連項目教育刷新委員会

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アメリカ教育使節団」の意味・わかりやすい解説

アメリカ教育使節団
アメリカきょういくしせつだん
The United States Education Mission to Japan

第2次世界大戦後,占領下の日本の教育改革について勧告するため,連合国総司令部に招かれて 1946年3月に来日したアメリカの教育家の使節団。 G. D.ストッダードを団長とし 27名で構成されていた。約1ヵ月滞在し,報告書を連合国最高司令官に提出して帰国したが,総司令部はこの報告書の勧告に基づいて占領下の教育改革を実施した。報告書は6・3・3制の提案をはじめ戦後の教育改革全般にわたって勧告している。この報告書は戦後の教育改革の方向を指示し,改革の基本となった。なお 50年,第2次アメリカ教育使節団が来日し,新しい国際情勢に基づく勧告を行なった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「アメリカ教育使節団」の解説

アメリカ教育使節団
アメリカきょういくしせつだん

第2次大戦後の日本の教育改革のために,1946年(昭和21)3月と50年8月に2度来日した米国使節団。第1次使節団は,教育の民主的改革の具体案として,6・3制や男女共学,PTA,教育委員会の設置などを提示した。その理念は,教育の中央統制の排除,地方分権化とアメリカ型の教育システムの導入による民主化であった。これをうけて制定された教育基本法に依拠して新制度が実施された。第2次使節団の目的は,おもに改革の成果の確認であった。この間に冷戦状況が進展していたが,基本方針に変化はなく,この線で日本の戦後教育改革は定着した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「アメリカ教育使節団」の解説

アメリカ教育使節団
アメリカきょういくしせつだん

第二次世界大戦後,占領政策の一環としての教育の民主化の勧告を行うため,GHQの招請によりアメリカから来日した使節団
その報告書は,六三制導入など,戦後の教育改革に多大な影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内のアメリカ教育使節団の言及

【一般教育】より

… 少数者のための自由教育liberal educationとは区別され,1930年代のアメリカの大学において高等教育の細分化を是正し,その教育内容の再編成をめざしたゼネラル・エデュケーションgeneral educationに由来する。46年,第1次アメリカ教育使節団は,第2次大戦前の日本の高等教育の特徴として,専門化が早すぎ,狭い人間形成と職業人養成に片寄っていることを批判し,一般教育の導入を勧告,その後の大学改革において実現をみた。主として,大学の教育課程,教養部において行われたが,戦後の展開のなかで,一般教育を専門課程の単なる準備段階として軽視したり,専門教育への従属と解消を図る傾向がでてきた。…

【学校】より

…いずれも学校教育のあり方に強い反省を迫るものであった。 46年3月には,第1次アメリカ教育使節団が来日,報告書は,高度に中央集権化された教育制度は,かりにそれが極端な国家主義と軍国主義の網のなかにとらえられていないにしても,強固な官僚政治にともなう害悪を受けるおそれがあり,教師は画一化されることなく,その職務を自由に発展させるには地方分権化が必要であるとし,学校は,非文明主義,封建主義,軍国主義に対する一大抗争に加わるだろうと期待していた。報告書は教育の目的・内容・方法から制度や教員養成など,学校教育に直接関係のある問題のほか,国語改革,成人教育などにも言及していた。…

【キャンデル】より

…第2次大戦後の比較教育学の隆盛に中心的役割を果たし,教育統計比較や各国教育事情紹介にとどまらぬ,各国教育の特質の歴史的・社会的背景の分析を行う。第1次アメリカ教育使節団の一員として1946年に来日。教育における内的事項interna(教育内容等)と外的事項externa(物的諸条件)を区別し,その観点から各国の教育行政の特質を評価する理論は,宗像誠也を介して日本の教育行政学に影響を与えた。…

【教育刷新委員会】より

…49年6月教育刷新審議会と改称し,52年6月まで存続した。アメリカ教育使節団に協力すべき日本側教育家の委員会が前身であり,後身は中央教育審議会であるといってよい。各界の識者約50名をもって組織され,発足当初の委員長は安倍能成,副委員長は南原繁で,委員のなかには高橋誠一郎,城戸幡太郎,天野貞祐,務台理作,森戸辰男などがいる。…

【6・3制】より

…第2次大戦後の教育改革において,戦前の差別的な複線型学校制度(中等教育が特権的なコースとされていた)を単一化し,義務教育年限を延長することは教育民主化の大きな課題であった。1946年3月の第1次アメリカ教育使節団報告書は,6・3・3制の学制改革を勧告し,使節団に協力した日本側教育委員会のほぼ同じ時期の報告書も6・3・3・4(または5)制を提案した。これをうけて,同年秋から,教育刷新委員会が文部省と協力して学制改革の立案と審議に当たった。…

※「アメリカ教育使節団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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