細菌戦の研究・遂行のため、日本陸軍が1933年(昭和8)に創設した特殊部隊の関東軍防疫給水部本部(秘匿名「満州第七三一部隊」)の略称。敗戦後には部隊長の軍医中将石井四郎(1892―1959)の名をとり石井部隊と通称された。ハルビン市南方20キロメートルの平房付近(現在の黒竜江省平房区)に1年半の歳月をかけて1939年に完成した同本部には、大規模な各種研究実験施設、細菌製造工場、特設監獄(常時80~100人収容)、死体焼却場、動物舎(ウサギ、モルモット、ネズミ、ノミなど飼育)、さらに飛行場、鉄道引込線、発電所、宿舎群などがあった。
同本部は総務部、第一部(細菌研究)、第二部(実戦研究)、第三部(濾水(ろすい)器製造)、第四部(細菌製造)、教育部、資材部、診療部で構成された。第一部所属のペスト、赤痢、脾脱疽(ひだっそ)、コレラ、チフス、結核の各研究班は生体実験により細菌戦のデータを集め、また猛毒の細菌を開発。ウイルス、リケッチア・ノミの各研究班は中国東北部の風土病(流行性出血熱など)を生体実験で研究、昆虫班はどのノミがペスト伝播(でんぱ)に適しているか、その繁殖方法、散布方法などを研究した。凍傷研究班は冬季における細菌戦や凍傷治療の有効方法を生体実験し、病理研究班は生体解剖や死体解剖、組織標本作製を担当していた。血清研究班は伝染病への対症療法やワクチンの開発、薬理研究班は速効性、遅効性の毒物、化学薬品を生体実験し、敵要人暗殺用の特殊兵器を発明していた。第二部所属の植物研究班は穀物の伝染病や農薬について研究していた。研究作業に従事したのは大学医学部、医科大学、民間研究所から軍属・技師として動員された2600余人の学者・研究者であった。
七三一部隊に送り込まれた捕虜は中国人、ロシア人をはじめモンゴル人、朝鮮人、少数のアングロ・サクソン系白人で、女性、子供も含まれていた。彼らはマルタ(丸太)とよばれ、1000種類以上の生体実験、あらゆる生体解剖に使用された。「マルタ」は2日に3体の割で「消費」され、1939~1945年だけで3000人以上が犠牲になったという。部隊は中国各地で細菌戦も実施した。敗戦後、石井中将らはGHQ(連合国最高司令部)と取引し、部隊の全データ提供と引き換えに全員が戦犯を免責された。敗戦50年を目前にひかえ1993~1994年には「七三一部隊展」が開催された(全国55か所、約20万人参加)。
[林 茂夫]
『森村誠一著『新版 悪魔の飽食』『新版 続・悪魔の飽食』(角川文庫)』▽『常石敬一著『消えた細菌戦部隊』(ちくま文庫93年増補新版)』
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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