1931年7月、中国吉林(きつりん)省長春付近で起きた朝鮮人農民と中国人農民の武力衝突事件。背後には満州(中国東北)侵略を企図する日本の存在があった。前年間島地方で蜂起(ほうき)を鎮圧された朝鮮人農民300人余りは、万宝山付近に移住、中国人地主から約1000町歩(約10平方キロメートル)の土地を借り、灌漑(かんがい)工事を行って水田を開発しようとした。中国側は、これが日本帝国主義の侵略政策の一環であるとみなして、彼らに退去を要求した。そして7月には中国人農民500人が武装して移住地区を襲い、水利施設を破壊した。これに対し日本は、領事警察を出動させて対抗するとともに、中国に圧力を加え、日本国内においては、同年6月モンゴル人に変装して興安嶺(こうあんれい)地方を調査していた参謀本部員が殺害された「中村大尉事件」とあわせて大々的に宣伝、満州侵略の世論作りに利用した。朝鮮でも日本の宣伝を受けた民衆が中国人居留民を襲う報復事件が頻発した。こうして同年9月満州事変が勃発(ぼっぱつ)した。
[古厩忠夫]
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1931年7月2日,中国吉林省長春市郊外の万宝山で起きた朝鮮移住民と中国農民の衝突事件。日本の植民地朝鮮では,東洋拓殖株式会社が中心となって没落農民の満州移住が進められ,31年には63万人に達した。移住民は日本の手先と見られ,中国側の反日の矢面にたたされた。日本は朝鮮での反華報復をあおり,両民族の離間策の中に満州侵略の機運を盛り上げた。満州事変は直後に起きた。
執筆者:田中 宏
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1931年(昭和6)7月,中国東北地方の万宝山(長春の北方)でおこった中国農民と入植朝鮮人との衝突事件。同年4月以降,日本の支援でこの地方に入植した約200人の朝鮮人が用水路開発などをめぐって中国人農民と対立,数百人の中国人農民が用水路を破壊して日中両警察の発砲事件をひきおこした。この衝突事件で朝鮮人殺害という誤報が「朝鮮日報」などで流された結果,京城(現,ソウル)などの都市で大規模な排華暴動を誘発した。
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