日本大百科全書(ニッポニカ) 「三木稔」の意味・わかりやすい解説
三木稔
みきみのる
(1930―2011)
作曲家。徳島市生まれ。1955年(昭和30)東京芸術大学作曲科卒業。池内友次郎(いけのうちともじろう)(1906―1991)、伊福部昭(いふくべあきら)に師事。在学中に書いた『交響的三楽章』(1953)がNHK管弦楽懸賞で第2位となる。1964年邦楽器の合奏団「日本音楽集団」の結成に参加、以後同団音楽監督として『古代舞曲によるパラフレーズ』(1966)をはじめ、邦楽器合奏のための作品を作曲する。民族楽器を現代によみがえらせるアプローチがその後も三木の活動に貫かれる。箏(そう)奏者の野坂恵子(のさかけいこ)(1938― )とともに考案した二十絃(げん)箏を1969年に完成させ、二十絃箏のための『天如(てんにょ)』(1969)を作曲。以後、二十絃箏は現代邦楽における重要な楽器となる。
1970年代以降は『春琴抄(しゅんきんしょう)』(1975)をはじめ、イングリッシュ・ミュージック・シアターの委嘱による『あだ』(1979)、セントルイス・オペラ劇場の委嘱による『じょうるり』(1985)など、日本の近世を題材とする、邦楽器を用いたオペラ連作を発表、2000年(平成12)には第7作『源氏物語』(1999)を発表している。一方、邦楽器群とオーケストラのための作品である三部作『鳳凰(ほうおう)三連(序の曲、破の曲、急の曲)』(1969、1974、1981)の第3曲「急の曲」は、ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の委嘱により書かれた作品である。1986年(昭和61)よりオペラ・シアター「うたよみ座」(1990年「歌座」に改称)を主宰、『よみがえる』(1992)などの民俗オペラを発表。1993年(平成5)アジアの民族楽器によるオーケストラ・アジア(ORA)を結成し芸術監督となる。1994年紫綬(しじゅ)褒章を受章。著書に『日本楽器法』などがある。
[楢崎洋子]
『『日本楽器法』(1996・音楽之友社)』▽『『阿波 合唱による風土記』(1997・音楽之友社)』▽『『オペラ「源氏物語」ができるまで』(2001・中央アート出版社)』▽『桐朋教育研究所編『生江義男対談集――創造する力』(1988・二期出版)』