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伊福部昭 イフクベアキラ

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デジタル大辞泉の解説

いふくべ‐あきら【伊福部昭】

[1914~2006]作曲家。北海道の生まれ。独学で作曲を始め、道庁勤務のかたわら制作したオーケストラ「日本狂詩曲」で注目される。以降、アイヌなどの民族音楽を取り入れた独自の作風を展開。昭和21年(1946)より東京音楽学校で教鞭をとり、芥川也寸志らを指導。管弦楽曲や器楽曲のほか「ゴジラ」「ビルマの竪琴」など映画音楽も多数手がけた。

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百科事典マイペディアの解説

伊福部昭【いふくべあきら】

作曲家。釧路生れ。帯広近郊の開拓地に育ち,移住者たちの口ずさむ日本各地の民謡やアイヌ民族の音楽に早くから親しんだ。独学で作曲を修め,札幌で早坂文雄らと交わる。北大林学科に学び林務官として勤務する一方,1935年初の管弦楽曲《日本狂詩曲》を完成。
→関連項目シュールホフ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

伊福部昭 いふくべ-あきら

1914-2006 昭和-平成時代の作曲家。
大正3年5月31日生まれ。昭和10年北海道庁の林務官時代に「日本狂詩曲」でチェレプニン賞アイヌ音楽をはじめ日本の民族音楽をとりいれた作風で独自の境地をひらいた。戦後東京音楽学校(現東京芸大)で芥川也寸志,黛(まゆずみ)敏郎らを指導。51年東京音大学長。「ゴジラ」「ビルマの竪琴」などの映画音楽でも知られた。平成15年文化功労者。平成18年2月8日死去。91歳。北海道出身。北海道帝大林学科卒。著作に「管弦楽法」。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊福部昭
いふくべあきら
(1914―2006)

作曲家。北海道釧路(くしろ)町(現釧路市)生まれ。少年期を北海道で過ごした伊福部は、アイヌ民族の音楽や、各地方から移住してきた人々の民謡を幼いころより耳にして育った。ギターやバイオリンをたしなみ、15歳のとき独学で作曲を始めた。その後、1932年(昭和7)北海道帝国大学農学部林学科に入学し、34年早坂文雄、後に音楽評論家となる三浦淳史(あつし)(1913―97。伊福部の中学時代の同級生)らと、札幌で「新音楽連盟」を組織し、エリック・サティをはじめ、当時の現代音楽を演奏紹介する。またこのころより民族的な色彩の濃い作品を書くようになった。
 1935年同大学を卒業。厚岸(あっけし)の森林事務所で林務官を務めるかたわら書き上げた、初めてのオーケストラ作品『日本狂詩曲』は、作曲家アレキサンドル・チェレプニンAlexander Tcherepnin(1873―1945)が主催したチェレプニン賞に主席入選、一躍注目される。また、19歳で書いた作品『ピアノ組曲』が、1938年ベネチア国際現代音楽祭に入選。1943年には『交響譚詩』がビクター管弦楽コンテストに入選、文部大臣賞受賞。
 第二次世界大戦後上京し、東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の講師として、1946年(昭和21)から53年まで管弦楽法を教えた。教え子には芥川也寸志(あくたがわやすし)、黛敏郎(まゆずみとしろう)らがいた。1951年『バイオリンと管弦楽のためのラプソディ』がジェノバ国際作曲コンクール管弦楽の部で入選。ほかにも、『サハリン島先住民の三つの揺籃歌』(1949)、『シンフォニア・タプカーラ』(1954、三浦に献呈)、合唱頌詩(しょうし)『オホーツクの海』(1958)、『ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ』(1961)、ギター曲『古代日本旋法による蹈歌(とうか)』(1967)など、多くの作品を発表した。また、映画音楽の分野でも活躍、『ゴジラ』(1954)、『座頭市』『コタンの口笛』(ともに1959)など、300本以上の映画音楽を手がけている。『ビルマの竪琴』『鬼火』『真昼の暗黒』(ともに1956)で毎日映画コンクール音楽賞を受賞。
 その後も管弦楽、歌曲、バレエ音楽と幅広い作品を発表した。代表的な作品には『SFファンタジー第1番~3番』(1983)、『日本の太鼓 ジャコモジャンコ』(1984)、バレエ曲『サロメ』(1987)、『釈迦』『二十五絃筝(げんそう)のためのトッカータ』(ともに1989)、『二面の二十五絃筝のための日本組曲』(1991、『ピアノ組曲』改作)、『交響的音画 釧路湿原』(1993)、『因幡(いなば)万葉の歌五首』(1995)、2001年(平成13)初演の『二十五絃筝甲乙奏合(こうおつそうごう)交響譚詩』などがある。
 1973年東京音楽大学の作曲科教授に就任、76~87年同学長、その後同大学民族音楽研究所所長となる。彼の教え子からは芥川、黛のほか松村禎三、石井真木(まき)、三木稔など多くの優れた作曲家が輩出しており、指導者としても知られた。
 伊福部は単純性・地域性を重視した作曲を続けてきた作曲家である。オスティナート(一定の音型を繰り返す手法)を強調したリズムは、伊福部の音楽を構成する重要な要素であり、テリー・ライリーは、伊福部のオスティナートの美学が、自分にもっとも近い音楽のあり方の一つであると述べている。第二次世界大戦後日本の「前衛」音楽主流の作曲界では無視されたりなおざりにされたこともあったが、映画『ゴジラ』の音楽をはじめ、多くの一般的な支持やポスト・モダンの風潮のなかで、1980年代から伊福部昭リバイバルが起きた。1980年紫綬褒章、87年勲三等瑞宝章受章、2003年(平成15)文化功労者。[小沼純一]
「広上淳一指揮、日本フィルハーモニー管弦楽団『譚~伊福部昭 初期三部作 日本狂詩曲/土俗的三連画/交響譚詩』CD(1995・キングレコード) ▽『ミレニアムゴジラベスト 伊福部昭 東宝特撮映画傑作集』CD(2000・ユーメックス) ▽『伊福部昭の芸術6、7』CD(2003・キングレコード)」

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世界大百科事典内の伊福部昭の言及

【バレエ音楽】より

… 日本では,1910年代後半から20年代初めにかけて山田耕筰石井漠小山内薫の協力を得て創作した舞踊詩(《青い焰》《マリア・マグダレーナ》《野人創造》)がある。また第2次大戦後の作品では,伊福部昭(1914‐ )の《サロメ》(1948)と《プロメテの火》(1950),石井歓(1921‐ )の《まりも》(1962),間宮芳生(1929‐ )の《祇園祭》(1963)などが成功している。【後藤 暢子】。…

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