三波春夫(読み)ミナミ ハルオ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三波春夫」の解説

三波 春夫
ミナミ ハルオ


職業
歌手

本名
北詰 文司

別名
前名=南条 文若(ナンジョウ フミワカ),筆名=北村 桃司,俳号=北桃子(ホクトウシ)

生年月日
大正12年 7月19日

出生地
新潟県 三島郡越路町(長岡市)

経歴
生家は本屋。昭和5年家族全員がチフスに罹り、母を失う。11年父が事業に失敗して上京、小学校を出て米屋や製麺工場、魚河岸で働く。浪曲師の寿々木米若に弟子入りの手紙を書くが丁重に断られ、昭和14年9月、16歳で夜学の日本浪曲学校に入学。10月南条文若として初舞台を踏んだ。19年応召、20年満州に侵入してきたソ連軍と戦い、戦後は4年間のシベリア抑留生活を送った。24年復員。浪曲界に復帰して妻と全国を巡っていたが、ある舞台で客席の老婆から「浪花節はちょっとでいいから、歌をいっぱいやってくれ」とのリクエストを受け、大衆が歌を求めていることを知って歌手デビューを決意。32年三波春夫に改名し、「メノコ船頭さん」でデビュー。第2弾として出した「チャンチキおけさ 船方さんよ」がヒットし、一躍脚光を浴びる。同年末、東京・浅草国際劇場でのワンマンショーで舞台着きもの姿で歌い、“和服姿の男性歌謡歌手”の嚆矢となった。明るく張りのある美声と、浪曲で鍛えた、言葉がはっきりとわかる口跡が持ち味で、セリフの入った「大利根無情」「忠太郎月夜」「一本刀土俵入り」や、自ら北村桃司の筆名で作詞の筆を執った長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」「豪商一代 紀伊国屋文左衛門」などに真価を発揮。また、東京五輪の際に各社競作でリリースされた「東京五輪音頭」、大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」、作詞・作曲も手がけた「おまんた囃子」なども大ヒットし、戦後の“国民歌手”の一人となった。NHK「紅白歌合戦」は31回(連続29回)出場し、トリも5回務めた。芝居と歌謡ショーを合体させて長期公演する“歌手芝居”の草分けで、36年ステージで司会の宮尾たかしとの掛け合いから“お客様は神様です”の名セリフが生まれた。和服の着流しの華やかなスタイルとセリフ回しのうまさ、特徴ある笑顔によるサービス精神に富んだ舞台で、老若男女に渡る人気を集めた。他の代表作に「雪の渡り鳥」「平家物語」「明日咲くつぼみに」「富士山」などがあり、劇場アニメ「ルパン三世 ルパンVS複製人間」の主題歌「ルパン音頭」や、ラップに挑戦した、テレビアニメ「スーパーヅガン」のエンディングテーマ「ジャン・ナイト・じゃん」といった異色作もある。58年、25周年記念リサイタル「放浪芸の天地」により芸術祭優秀賞を受け、61年紫綬褒章を受章。著書に「歌芸の天地」「聖徳太子憲法は生きている」などがある。

受賞
紺綬褒章〔昭和40年・47年・50年・52年〕,紫綬褒章〔昭和61年〕,勲四等旭日小綬章〔平成6年〕 日本レコード大賞(特別賞 第6回)〔昭和39年〕,芸術祭優秀賞〔昭和51年〕,芸術祭賞〔昭和57年〕,芸術祭優秀賞〔昭和58年〕「放浪芸の天地」

没年月日
平成13年 4月14日 (2001年)

家族
長男=三波 豊和(歌手・俳優),長女=八島 美夕紀(女優)

伝記
上を向いて歌おう―昭和歌謡の自分史凜として―日本人の生き方僕の昭和歌謡曲史ゆく空に―三波春夫、母、そして私三波春夫という永久革命三波春夫でございます 永 六輔 著,矢崎 泰久 聞き手産経新聞「凜として」取材班 著泉 麻人 著八島 美夕紀 著平岡 正明 著三波 春夫 著(発行元 飛鳥新社産経新聞ニュースサービス,扶桑社〔発売〕講談社集英社インターナショナル,集英社〔発売〕作品社講談社 ’06’05’03’02’96’93発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「三波春夫」の解説

三波 春夫
ミナミ ハルオ

昭和・平成期の歌手



生年
大正12(1923)年7月19日

没年
平成13(2001)年4月14日

出生地
新潟県三島郡越路町

本名
北詰 文司

別名
前名=南条 文若(ナンジョウ フミワカ),筆名=北村 桃司

主な受賞名〔年〕
日本レコード大賞(特別賞 第6回)〔昭和39年〕,紺綬褒章〔昭和40年 47年 50年 52年〕,芸術祭優秀賞〔昭和51年〕,芸術祭賞〔昭和57年〕,芸術祭優秀賞〔昭和58年〕「放浪芸の天地」,紫綬褒章〔昭和61年〕,勲四等旭日小綬章〔平成6年〕

経歴
父が事業に失敗して上京、小学校を出て米屋や魚河岸で働く。昭和14年16歳で日本浪曲学校に入学。約1年半後、南条文若の名で浪曲界入りするが、19年応召し中国へ。敗戦後、4年間シベリア抑留生活を体験し、24年帰国。26年より座長として全国的な地方巡業を始める。32年三波春夫に改名し、「チャンチキおけさ」「船方さんよ」で歌手デビュー。張りのある美声で「大利根無情」「東京五輪音頭」、大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」、「おまんた囃子」などヒット曲をとばし、戦後の“国民歌手”の一人に。NHK「紅白歌合戦」は31回(連続29回)出場し、トリも5回務めた。他の代表作に「雪の渡り鳥」「平家物語」「明日咲くつぼみに」「富士山」など。また芝居と歌謡ショーを合体させて長期公演する“歌手芝居”の草分けで、36年ステージで司会の宮尾たかしとの掛け合いから“お客様は神様です”の名セリフが生まれた。58年、25周年記念リサイタル「放浪芸の天地」により芸術祭優秀賞受賞、61年には紫綬褒章を受章。和服の着流しの華やかなスタイルとセリフ回しのうまさ、特徴ある笑顔によるサービス精神に富んだ舞台で、老若男女に渡る人気を集めた。著書に「聖徳太子憲法は生きている」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「三波春夫」の意味・わかりやすい解説

三波春夫【みなみはるお】

歌手。新潟県生れ。本名北詰文司(きたづめぶんじ)。13歳で上京,16歳で日本浪曲学校に入学し,のち南篠文若(なんじょうふみわか)の芸名で初舞台を踏んだ。20歳で陸軍に入隊し,第2次世界大戦後はソ連で抑留生活を送った。帰国後,浪曲から歌謡曲に転じ,1957年に三波春夫として《チャンチキおけさ/船方さんよ》で歌謡界デビュー。《雪の渡り鳥》《大利根無情》などを大ヒットさせた。一方で,東京オリンピックのテーマソング《東京五輪音頭》や日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソング《世界の国からこんにちは》は,国民の高度経済成長感を盛り上げた。明るい歌声と派手な衣裳,笑顔と旺盛なサービス精神,そして〈お客様は神様です〉というキャッチフレーズで〈国民歌手〉〈国民的歌手〉として親しまれた。1976年度と1982年度の文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三波春夫」の解説

三波春夫 みなみ-はるお

1923-2001 昭和後期-平成時代の歌手。
大正12年7月19日生まれ。昭和14年南条文若の名で浪曲師としてデビュー。32年歌謡曲歌手に転向,「チャンチキおけさ」がヒット。「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」の大ヒットで国民歌手といわれた。「お客様は神様です」のせりふも有名。58年リサイタル「放浪芸の天地」で芸術祭優秀賞。平成13年4月14日死去。77歳。新潟県出身。本名は北詰文司。

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367日誕生日大事典 「三波春夫」の解説

三波 春夫 (みなみ はるお)

生年月日:1923年7月19日
昭和時代;平成時代の歌手
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三波春夫の言及

【浪花節】より

…また,文芸浪曲への挑戦,ギターやピアノを伴奏楽器に使っての歌謡浪曲の試みなどもあった。しかし,昭和初期における寿々木米若,2代広沢虎造などのような圧倒的人気者に匹敵する演者は生まれず,歌謡曲の分野に進出して成功した三波春夫(1923‐ ),村田英雄(1929‐ )のほかに,傑出した個性をもつ人物は出ていない。現在,木村若衛,東家浦太郎,3代玉川勝太郎,二葉百合子などの努力によって失地回復のきざしは見えつつあるが,新時代にふさわしい題材の開拓,優秀な専門作家の出現,現代の広い層の聴衆に歓迎される節調の作曲など,現代浪曲への課題はきびしいものがある。…

※「三波春夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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