三船 敏郎(読み)ミフネ トシロウ

20世紀日本人名事典の解説

三船 敏郎
ミフネ トシロウ

昭和・平成期の俳優,映画プロデューサー 三船プロダクション社長。



生年
大正9(1920)年4月1日

没年
平成9(1997)年12月24日

出生地
中国・青島

出身地
旧満州・大連

学歴〔年〕
大連中〔昭和13年〕卒

主な受賞名〔年〕
ブルーリボン賞主演男優賞(昭26年度 36年度 40年度)「馬喰一代」「用心棒」「赤ひげ」,毎日映画コンクール男優主演賞(昭32年度)「蜘蛛巣城」「どん底」,キネマ旬報賞主演男優賞(昭36年度 43年度)「用心棒」「黒部の太陽」,ベネチア国際映画祭男優賞〔昭和36年 40年〕「用心棒」「赤ひげ」,ベネチア国際映画祭フィプレシ賞(第28回)〔昭和42年〕「上意討ち」,芸術選奨文部大臣賞(昭42年度)〔昭和43年〕「上意討ち」,UCLAメダル〔昭和61年〕,ブルーリボン賞助演男優賞(昭62年度)「男はつらいよ・知床旅情」,フランス芸術文化勲章〔平成1年〕,勲三等瑞宝章〔平成5年〕,日本映画批評家賞功労賞〔平成5年〕,ゴールデンアロー賞(特別賞 第35回)〔平成10年〕

経歴
昭和22年東宝ニューフェイス第1期生として入社。同年「銀嶺の果て」でデビュー。23年黒沢明監督「酔いどれ天使」で注目を浴び、以来黒沢作品のほとんどに出演。代表作に「野良犬」「羅生門」「七人の」「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「どん底」「用心棒」「椿三十郎」「赤ひげ」などがあり、世界にその名を知られる。他の主要作品に「宮本武蔵」「無法松の一生」「侍」「上意討ち」「風林火山」「千利休・本覚坊遺文」などがあり、また外国映画「グラン・プリ」「太平洋の地獄」「レッド・サン」「将軍」にも出演。芸風は男性的で豪放。37年三船プロダクションを設立、タレントのマネジメント、映画自主製作を行った。主なプロデュース作品に「上意討ち」(東宝)、「黒部の太陽」(日活)、「風林火山」「新選組」(東宝)、「大忠臣蔵」(NET)等。テレビやCM出演も多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

三船 敏郎
ミフネ トシロウ


職業
俳優 映画プロデューサー

肩書
三船プロダクション社長

生年月日
大正9年 4月1日

出生地
中国・青島

出身地
旧満州・大連

学歴
大連中〔昭和13年〕卒

経歴
父は秋田県出身の写真師で、中国・青島で写真屋を営む。4歳の時に遼寧省の大連に移り、昭和8年大連中学に入学するが、父が病気で倒れたため家業を手伝うようになった。13年中学を卒業し、15年満州の陸軍航空隊に入隊。写真技術を買われて写真部に配属され、以後約5年に渡り軍隊生活を送る。終戦後日本に引き揚げるが、国内に頼るべき親類もいなかったため戦友の家に居候しながら職を探したという。22年カメラマン助手を志望して東宝に履歴書を出したところ、なぜか俳優募集の面接に呼び出しがかかり、およそ俳優になるつもりはなかったものの、そのふてぶてしさが山本嘉次郎らの眼に止まり、東宝ニューフェイス第1期生として入社。同年谷口千吉監督の「銀嶺の果て」でデビュー。23年黒沢明監督の「酔いどれ天使」では長い軍隊生活の欲求不満を一気にぶちまけるような強烈な演技で注目を浴び、以後、同監督作品の「静かなる決闘」「野良犬」「醜聞」「羅生門」「白痴」「七人の侍」「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「どん底」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」「赤ひげ」で主演を務めて世界にその名を知られる俳優となった。37年三船プロダクションを設立してタレントのマネジメント及び映画の自主製作に乗り出し、まず38年に自らの製作・監督・主演で「五十万人の遺産」を発表するが、興行的には成功せず。しかし、岡本喜八監督を起用し、自身の主演で撮った40年の同プロ作品「侍」「血と砂」がヒットした。41年には東京・世田谷区成城に大手映画会社並みのスタジオと時代劇用オープンセットを建設し、42年からはテレビ映画の製作にも着手。さらに43年石原プロと提携し、自身に加えて滝沢修、志村喬、佐野周二、石原裕次郎、高峰三枝子と新旧大スターを揃い踏みさせた熊井啓監督「黒部の太陽」で大成功を収め、一気にプロダクションとしての名声を高めた。その他、映画では小林正樹監督「上意討ち・拝領妻始末」、稲垣浩監督「風林火山」「待ち伏せ」、岡本監督「赤毛」、沢島忠監督「新選組」などを、テレビ映画では「大忠臣蔵」「荒野の素浪人」「隠し目付参上」などをプロデュース及び主演。これ以外にも谷口監督の「ジャコ万と鉄」、稲垣監督の「宮本武蔵」「無法松の一生」「日本誕生」、岡本監督「暗黒街の対決」、丸山誠治監督「日本海大海戦」などに主演し、「グラン・プリ」「太平洋の地獄」「レッド・サン」「将軍」といった外国映画にも出演するなど、“世界のミフネ”として国内外で幅広く活躍した。その芸風は男性的かつ豪放で、アクションスターや時代劇俳優にありがちな見得や思い入れを省略し、一気呵成に動くところに特質があった。アクションや殺陣にも定評がある。中年以降は風格豊かな大人物や偉人を骨太に堂々と演じ、晩年における熊井監督「千利休・本覚坊遺文」「深い河」の演技も国際的に絶賛された。黒沢監督とは蜜月だった時期がある一方、確執も深く、40年の「赤ひげ」以降は二度と組むことはなかったが、その演技は高く評価していたといわれている。テレビやCM出演も多い。

所属団体
日本映画テレビプロデューサー協会

受賞
芸術選奨文部大臣賞(昭和42年度)〔昭和43年〕「上意討ち・拝領妻始末」 フランス芸術文化勲章〔平成1年〕,勲三等瑞宝章〔平成5年〕 ブルーリボン賞主演男優賞(昭和26年度・36年度・40年度)「馬喰一代」「用心棒」「赤ひげ」,キネマ旬報賞主演男優賞(昭和36年度・43年度)「用心棒」「黒部の太陽」,ベネチア国際映画祭男優賞〔昭和36年・40年〕「用心棒」「赤ひげ」,ベネチア国際映画祭フィプレシ賞(第28回)〔昭和42年〕「上意討ち・拝領妻始末」,UCLAメダル〔昭和61年〕,牧野省三賞(第29回)〔昭和62年〕,ブルーリボン賞助演男優賞(昭和62年度)「男はつらいよ・知床旅情」,川喜多賞(第6回)〔昭和63年〕,日本映画批評家賞功労賞〔平成5年〕,ゴールデンアロー賞(特別賞 第35回)〔平成10年〕 毎日映画コンクール男優主演賞(昭和32年度)「蜘蛛巣城」「どん底」,毎日映画コンクール男優助演賞(昭和62年度)「男はつらいよ・知床旅情」

没年月日
平成9年 12月24日 (1997年)

家族
長女=三船 美佳(タレント),弟=三船 芳郎(三進工業会長),孫=三船 力也(俳優)

伝記
血の玉座―黒沢明と三船敏郎の映画世界黒澤明の作劇術邦画の昭和史―スターで選ぶDVD100本今ひとたびの戦後日本映画黒部の太陽―ミフネと裕次郎映画俳優東宝砧撮影所物語―三船敏郎の時代クロサワさーん!―黒沢明との素晴らしき日々新東宝秘話 泉田洋志の世界心残りは…父・鶴田浩二今ひとたびの戦後日本映画にんげん蚤の市クロサワさーん!―黒沢明との素晴らしき日々不滅の弔辞今ひとたびの戦後日本映画殺陣―チャンバラ映画史彼らは何歳で始めたか昭和・平成タレント太平記―私をトリコにした男たち映画極道(スクリーンマフィア)物語―映画の舞台裏(しかけ)お見せします 上島 春彦 著古山 敏幸 著長部 日出雄 著川本 三郎 著熊井 啓 著佐藤 忠男 著高瀬 昌弘 著土屋 嘉男 著鈴木 義昭 著池部 良 著カーロン 愛弓 著川本 三郎 著高峰 秀子 著土屋 嘉男 著「不滅の弔辞」編集委員会 編川本 三郎 著永田 哲朗 著富永 直久 著林家 木久蔵 著日本映画助監督協会 編(発行元 作品社フィルムアート社新潮社岩波書店新潮社晶文社東宝出版・商品事業室新潮社プラザ,青心社〔発売〕文芸春秋新潮社中央公論新社文芸春秋新潮社集英社岩波書店社会思想社ダイヤモンド社学習研究社ダイナミックセラーズ ’10’08’07’07’05’03’03’02’01’01’00’00’00’99’98’94’93’91’91’88発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

367日誕生日大事典の解説

三船 敏郎 (みふね としろう)

生年月日:1920年4月1日
昭和時代;平成時代の映画俳優。三船プロダクション社長
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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