三雲・井原遺跡(読み)みくも・いわらいせき

共同通信ニュース用語解説 「三雲・井原遺跡」の解説

三雲・井原遺跡

三雲みくも井原いわら遺跡 福岡県糸島市にある、弥生時代(紀元前4世紀~紀元後3世紀)から古墳時代(3~7世紀)にかけての集落・墳墓遺跡。古代中国の歴史書「魏志倭人伝ぎしわじんでん」に対外交流の拠点として記された「伊都国いとこく」の王都とみられる。主な遺構竪穴住居跡甕棺墓かめかんぼがあり、中国や朝鮮半島に由来する銅鏡土器なども多く出土している。総面積は約60ヘクタールと推定されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三雲・井原遺跡」の意味・わかりやすい解説

三雲・井原遺跡
みくも・いわらいせき

福岡県糸島市にある遺跡群。『魏志倭人伝』に記述がある伊都国の所在地と推定されており,江戸時代末期に発見された甕棺墓遺跡(→甕棺)の三雲南小路遺跡などを含む。三雲南小路遺跡では鏡 35面,銅剣銅鉾銅戈(→),ガラス璧(→),勾玉,管玉などが出土。鏡はおもに前漢鏡であったといわれる。また,3世紀のものとみられる弥生式土器の甕(かめ)が出土し,その縁に刻まれた記号様の線刻について解明が進められてきた。1998年,国立歴史民俗博物館の平川南教授は,金偏を省略した「鏡」の字であるとの見解を発表した。鏡は富と権力の象徴であり,埋葬に際しては魔よけとしても尊ばれたが,高価であったため,文字を書いて実物の代わりとしたという説である。当時はまだ漢字を正しく認識して使用する段階にはいたっておらず,偏を省略したうえ横向きに書かれたと推測されている。

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