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日光例幣使 にっこうれいへいし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日光例幣使
にっこうれいへいし

江戸時代,朝廷から日光東照宮大祭に派遣された奉幣使。東照宮落成の元和3 (1617) 年に始り,正保3 (46) 年から毎年行われ,奉幣使が京都より日光にいたる道を例幣使街道といった。 (→日光例幣使街道 )

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デジタル大辞泉の解説

にっこう‐れいへいし〔ニツクワウ‐〕【日光例幣使】

江戸時代、朝廷から日光東照宮の4月の大祭に差し遣わされた奉幣使

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百科事典マイペディアの解説

日光例幣使【にっこうれいへいし】

江戸時代,日光東照宮(とうしょうぐう)の例大祭に朝廷から派遣された奉幣使(ほうへいし)。勅使の日光参向は1617年東照社落成の時に端を発する。1645年,東照社に宮号が宣下されると翌1646年臨時奉幣使が下向し,以後毎年の例となる。
→関連項目日光社参奉幣壬生通り

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世界大百科事典 第2版の解説

にっこうれいへいし【日光例幣使】

江戸時代,朝廷より日光東照宮の例大祭に差遣された奉幣使。日光への勅使参向は1617年(元和3)の東照社鎮座に端を発するが,いわゆる例幣使発遣は,宮号を宣下され東照宮と称することになった45年(正保2)の翌年,参議持明院基定が臨時奉幣使として日光東照宮に発遣されたのに始まり,これより例となり毎年奉幣使が下向し,1867年(慶応3)に及んだ。奉幣使は中山道を通って4月15日に日光山に到着,翌16日の朝奉幣した。

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大辞林 第三版の解説

にっこうれいへいし【日光例幣使】

江戸時代、毎年四月、日光東照宮の大祭に朝廷から派遣された奉幣使。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日光例幣使
にっこうれいへいし

朝廷より日光東照宮に毎年幣帛(へいはく)を奉納するために参向した勅使。3代将軍徳川家光(いえみつ)の要請により1646年(正保3)臨時奉幣使として参議持明院基定(じみょういんもとさだ)が発遣され、4月13日江戸を発して日光山に赴き、17日東照宮の祭儀に臨んで奉幣した。翌年からは毎年奉幣使(例幣使)が朝廷から発遣されて宣命(せんみょう)を読み、1867年(慶応3)まで至った。これを機に、1647年には中絶していた伊勢(いせ)神宮奉幣使も復活された。例幣使は毎年3月末ないし4月1日に京都をたち、15日までに日光に到着し、大祭前日の16日に神前に奉幣し、30日に帰洛(きらく)した。一行は50名前後で、往路は中山道(なかせんどう)・例幣使街道を下り、帰路は日光街道・江戸・東海道を経て帰洛した。[大野瑞男]

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世界大百科事典内の日光例幣使の言及

【日光社参】より

…江戸時代,日光東照宮に参詣すること。社参者には,日光例幣使,将軍,大名,旗本,御家人,一般の武士や農工商の庶民など,さまざまの身分階層にわたったが,御宮(東照宮)と大猷院(家光)御霊屋(おたまや)に拝礼を許されるのは旗本以上に限られ,御家人以下の身分の者は拝見が許されただけであった。江戸時代を通じて16度行われた将軍の社参は,4月17日(家康命日)の法要に集中しているが,莫大な費用と人手をともなうので,4代徳川家綱以降は8代吉宗,10代家治,12代家慶に各1回が記録されているにすぎない。…

※「日光例幣使」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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