上田三四二(読み)ウエダミヨジ

デジタル大辞泉 「上田三四二」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐みよじ〔うへだ‐〕【上田三四二】

[1923~1989]医師歌人文芸評論家。兵庫の生まれ。内科医のかたわら作品発表がんとの闘いを転機人間生死を見つめた作品を多く残す。小説惜身命」で芸術選奨。他に「祝婚」、歌集湧井わくい」、評論集「うつしみ」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田三四二」の意味・わかりやすい解説

上田三四二
うえだみよじ
(1923―1989)

歌人、小説家、文芸評論家。兵庫県生まれ。京都帝国大学医学部卒業。京都帝国大学病院に勤務のかたわら歌誌『新月』に加わり作歌を始める。1961年(昭和36)に『斎藤茂吉(もきち)論』により群像新人文学賞受賞。あわせて『逆縁(ぎゃくえん)』が小説部門最優秀作となる。1966年、43歳のとき結腸癌(がん)を手術、以後長い闘病生活に入る。この大患が生涯の転機となり、死と直面したことで、感覚も思想もいっそうの深化を果たし、「魂の浄化」を短歌によって志すことになる。1968年に「佐渡玄冬」により短歌研究賞受賞。1975年に第三歌集『湧井(わくい)』により迢空(ちょうくう)賞を、評論集『眩暈(げんうん)を鎮(しず)めるもの』により亀井勝一郎賞を受賞。1979年には『うつしみ この内なる自然』が平林たい子賞を受賞、人間の生死を自然の内にとらえる独特な自然観を明確にした。晩年は病が再発し入退院を繰り返すなかで、正への清冽な祈りともいうべき「心声、事物、一如」の歌境に至る。日本人の死生観、自然観を追求した三四二の文学の結実である。

[日高堯子]

 ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも

『『上田三四二全歌集』(1990・短歌研究社)』『浅井清他編『研究資料現代日本文学 第五巻』(1981・明治書院)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上田三四二」の解説

上田三四二 うえだ-みよじ

1923-1989 昭和時代後期の歌人,評論家。
大正12年7月21日生まれ。内科医として病院に勤務のかたわら,短歌,文芸評論,小説などを発表。癌(がん)とのながい闘いのなかで命をみつめ,澄んだ境地の作品を生み,深い洞察力にもとづく批評をおこなった。昭和62年芸術院賞。平成元年1月8日死去。65歳。兵庫県出身。京大卒。歌集に「湧井」「遊行」,評論に「この世この生」,小説に「惜身命」など。
【格言など】たすからぬ病と知りしひと夜経てわれよりも妻の十年(ととせ)老いたり(「湧井」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android