日本歴史地名大系 「下丸屋町」の解説 下丸屋町しもまるやちよう 京都市:中京区銅駝学区下丸屋町中京区河原町通二条下ル二丁目町の西寄りを河原町(かわらまち)通が南北に通り、東側は高瀬(たかせ)川が南流、北は御池(おいけ)通が東西に通る。町名は、現河原町御池下ル辺りを筆描図系の寛永以後万治以前京都全図では「丸や町」、天明六年(一七八六)京都洛中洛外絵図に「下丸屋町」とある。木版図系寛永版平安城東西南北町並之図に「ふくろ丁」、元禄九年(一六九六)京大絵図に「ふろや丁」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「下丸屋町 一名鍋屋町とも云」とある。 下丸屋町しもまるやちよう 京都市:上京区出水学区下丸屋町上京区下立売通智恵光院西入東西に通る下立売(しもたちうり)通を挟む両側町で、町の西は浄福寺(じようふくじ)通。平安京大内裏では内裏から「一本御書所」にいたる跡地で、「温明殿・朱器殿・宣陽門」などがあった(「拾芥抄」の宮城指図)。近世の聚楽第(じゆらくだい)遺構では町の北が南外郭の外堀にあたる。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「籠屋丁」とみえ、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図では「丸や丁」、元禄末期洛中絵図には「本丸屋丁」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「下丸屋町 此町の北裏を裏屋敷と云」とある。 下丸屋町しもまるやちよう 京都市:中京区梅屋学区下丸屋町中京区小川通竹屋町下ル南北に通る小川(おがわ)通を挟む両側町。平安京の条坊では左京二条二坊三保一四町の中央部にあたる。町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「下丸屋町」とみえ、以降変化はない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by