改訂新版 世界大百科事典 「不破伴左衛門」の意味・わかりやすい解説
不破伴左衛門 (ふわばんざえもん)
歌舞伎《鞘当(さやあて)》の主人公として登場する人物。その最初は江戸の土佐浄瑠璃《名古屋山三郎》(延宝ごろ上演)で,不破伴左衛門は名古屋山三郎の友人として登場し,遊女葛城(かつらぎ)を争って山三郎の父を殺害し,親の敵として山三郎に討たれる。これと同じような内容の歌舞伎《遊女論》が江戸の市村座で上演され(延宝8年初演といわれるが座組からは貞享年間か),初世市川団十郎の不破,村山四郎次の山三郎,伊藤小平太の傾城葛城で評判となり,不破名古屋の歌舞伎が流行するようになった。1697年(元禄10)1月江戸中村座上演の《参会名護屋(さんかいなごや)》に山三郎・不破の〈鞘当〉の趣向が現れ,2人の武士が廓で1人の遊女を争って刀の鞘をあてる場面が定着することになった。この狂言で不破をつとめた初世市川団十郎は,雲に稲妻の模様の衣装をつけ,以後の不破役はこれを踏襲することになった。市川家の家紋,三升の紋はこの稲妻の形から思いついたものといわれ,〈不破〉は代々の市川団十郎の荒事芸として発展し,歌舞伎十八番にも選ばれている。現行の〈鞘当〉の型は1823年(文政6)3月江戸市村座上演の鶴屋南北作《浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)》において固定し,花の吉原仲之町で寛闊出立(かんかついでたち)で現れた不破と名古屋の刀の鞘が触れ合い,ことば争いのはて,あわや喧嘩というところを留女(とめおんな)(または留男)が割ってはいり,無事にその場は納まるというもので,色彩と音調との様式美をたんのうさせる。
豊臣秀次の小姓として寵愛され,秀次切腹のおりに殉死した不破万作(伴作)という人物がいて,これが不破伴左衛門のヒントとなったとされる。不破万作は尾張の出身で,《太閤記》巻十七や,これを踏襲した古浄瑠璃《太閤記》によれば,1595年(文禄4)7月,秀次に先立って主君の介錯で切腹した。当年18歳(古浄瑠璃では17歳)。上田秋成の《雨月物語》中の〈仏法僧〉にも秀次の小姓として登場している。
→名古屋山三郎
執筆者:鳥居 フミ子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報