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名古屋山三郎 なごやさんざぶろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

名古屋山三郎
なごやさんざぶろう

[生]?
[没]慶長8(1603)
豊臣の家臣名古屋因幡守の子。通称「名古屋山三」。戦国時代に蒲生氏郷に児小姓 (ちごこしょう) として仕え,美少年の誉れが高く,世に名高き伊達者と流行唄 (はやりうた) にも歌われた。歌舞伎成立伝説に付会され,出雲の阿国とともに歌舞伎の創始者として諸書にみえるが,山三郎伝説が阿国歌舞伎に趣向として摂取されたとしても直接の関係は認められない。また山三郎はのちの歌舞伎,浄瑠璃の題材として好まれ,延宝年間 (1673~81) の古浄瑠璃『名古屋山三郎』が山三郎に遊女葛城と敵役不破伴左衛門を配して,のちの歌舞伎『鞘当』のもととなり,下っては文政6 (1823) 年4世鶴屋南北作『浮世柄比翼稲妻』が名高い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

名古屋山三郎 なごや-さんざぶろう

1572/76-1603 織豊-江戸時代前期の武士。
元亀3/天正(てんしょう)4年生まれ。天正18年蒲生氏郷(がもう-うじさと)の大崎・葛西一揆鎮圧戦の名生(みょう)城攻め一番槍の功をたてる。のち森忠政につかえ,信濃(しなの)(長野県)川中島から美作(みまさか)(岡山県)津山への転封にしたがう。同僚井戸宇右衛門と私闘し,慶長8年4月10日/5月3日死去。28/32歳。美男で遊芸に通じたかぶき者であったため,歌舞伎の祖として伝説化された。後名は九右衛門。姓は名護屋,那古屋ともかく。

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朝日日本歴史人物事典の解説

名古屋山三郎

没年:慶長8.4.10(1603.5.20)
生年:生年不詳
出雲のお国とともに歌舞伎役者の祖に擬されている安土桃山時代の武士。加賀(金沢)藩士因幡守敦順と織田信長の姪の養雲院の子。10代のころ蒲生氏郷の小姓として奥州攻めに従い一番槍の手柄を立てて,流行の小唄に歌われた。氏郷没後浪人となり,その後妹の縁で仕官した美作で,同僚と刃傷事件を起こして死んだ。当時流行したかぶき者の典型で,お国がかぶき者の姿をして舞台に立った時期が山三郎の没したころに当たり,そこから両者が結びついて,お国の夫,愛人などという逸話が,後世生まれたようである。しかし史料的にはまったく確認できず,山三郎と歌舞伎成立の結び付きは伝説上のことであろう。没年月日には慶長5(1600)年5月3日説もある。<参考文献>室木弥太郎『中世近世・日本芸能史の研究』,服部幸雄『歌舞伎成立の研究』

(北川博子)

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世界大百科事典 第2版の解説

なごやさんざぶろう【名古屋山三郎】

?‐1603(慶長8)
安土桃山時代の出雲のお国とともに歌舞伎の始祖に擬せられ,世に〈さんざ〉〈山三〉〈山左〉〈山左衛門〉〈三左衛門〉と呼ばれた男性。父因幡守高久(敦順とも)は織田信長に仕え,母は信長の縁につながる織田刑部大輔の娘,妹は豊臣秀長の嫡子小一郎に嫁し,死別後,森忠政に嫁した。《氏郷(うじさと)記》によれば,山三郎は15歳で蒲生氏郷の陸奥名生城攻略に従って一番槍の武勲を立て,小歌に歌われるほど有名になった。大徳寺高桐(こうとう)院の開祖玉甫(ぎよくほ)和尚の《玉甫録(半泥蒿)》などの諸記録によれば,山三郎は武勇にすぐれていたばかりでなく,かくれなき美男子で,遊芸にも通じた伊達男(かぶき者)であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

名古屋山三郎
なごやさんざぶろう
(?―1603)

出雲(いずも)の阿国(おくに)とともに歌舞伎(かぶき)の始祖になぞらえられている人物。名古屋山三(さんざ)ともよばれる。史実では名越(なごえ)山三郎(のちに九右衛門)。加賀藩名越家の祖因幡守(いなばのかみ)の子で、母は織田信長の姪(めい)にあたる養雲院。1590年(天正18)11月、蒲生氏郷(がもううじさと)の奥州城攻めに小姓として従い、15歳(年齢には諸説あって一定しない)で一番槍(やり)の手柄をたてたという。氏郷没後は浪人したが、1600年(慶長5)ころ、妹の縁で森美作守(みまさかのかみ)忠政に仕えた。同僚の井戸宇右衛門(うえもん)と刃傷(にんじょう)事件を起こし、慶長(けいちょう)8年4月10日(または5月3日)に没した。
 風流を好んだ伊達男(だておとこ)で、当時のかぶき者の1人だった。古い俗資料では、阿国の夫、愛人あるいは共働者など、歌舞伎の創始と関係づけてさまざまの挿話を伝えているが、信頼できる史料からはまったく確かめることができず、おそらくすべて伝説であったと考えられる。阿国が男装してかぶき者を舞台に登場させたころ、山三郎の死が伝えられて巷(ちまた)の話題になったため、舞台上のかぶき者の1人を山三郎の亡霊に見立てることが行われ、そこから逆に生前の山三と阿国との関係がまことしやかに語り伝えられる結果を招いたものであろう。[服部幸雄]

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世界大百科事典内の名古屋山三郎の言及

【出雲のお国】より

…この後お国は歌舞伎踊の一座を率いて,北野社頭や四条河原で勧進興行を行い,女院の御所や公家の邸にもしばしば招かれている。 また,歌舞伎成立当時の舞台の様子を伝えるといわれる《かぶきのさうし》(《歌舞伎草子》)では,当代のかぶき者(伊達男)名古屋山三郎が生前お国の歌舞伎踊を好んでいたが,お国を慕って亡霊となってあらわれ,お国とともに歌舞伎踊を踊るという話が作られている。03年に若くして刃傷沙汰のために非業の死を遂げた名古屋山三郎は,史実としてお国とはまったく関係のない人物であったが,異風な男装で歌舞伎踊をしたお国と密着することになり,さまざまに潤色され,多くのお国山三説話を生むことになった。…

【お国歌舞伎】より

…流行の先端を行く衣装や黄金造りの太刀,黄金の十字架,水晶の数珠などを身につけたお国の華麗なかぶき姿は,当時の豪奢な好みを反映して,ただちにこれをまねる女芸人が続出した。初期のお国の歌舞伎は,この現代風俗のものまねに,〈猿若(さるわか)〉と呼ばれた,司会役もかねた道化役の滑稽芸をからませ,あいだに狂言師による能狂言や,女たちの小歌踊をはさんだものであったが,のち,かぶき者として名を売り,喧嘩で斬り死にした名古屋山三郎の亡霊を登場させるなどの演出も工夫したものと思われる。1612‐13年(慶長17‐18)ごろまで行われていた。…

【昔話稲妻表紙】より

…1806年(文化3)刊。歌舞伎狂言や浮世草子《契情阿国歌舞伎(けいせいおくにかぶき)》(1730)で著名な不破伴左衛門と名古屋山三郎の抗争を,大和国守佐々木家のお家騒動のなかに持ち込んだ伝奇小説。山三郎と遊女葛城(実は不破の妹)の恋愛や,白拍子藤波を殺した忠臣佐々良三八一家が長く怨霊に苦しめられる因果譚などが,蟹満寺(かにまんじ)縁起その他本邦の昔話,民話を豊富に織りこんだ趣向によって語られ,複雑な筋立ての,京伝独自の幻怪華麗な物語的迷宮世界を形成している。…

※「名古屋山三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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