歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。九幕。3世瀬川如皐(じょこう)作。1853年(嘉永6)3月、江戸・中村座で8世市川団十郎の与三郎、4世尾上(おのえ)菊五郎(当時梅幸(ばいこう))のお富、4世市川小団次の観音久次(かんのんきゅうじ)、3世関(せき)三十郎の赤間(あかま)源左衛門と和泉屋(いずみや)多左衛門、3世中村仲蔵(当時鶴蔵)の蝙蝠安(こうもりやす)などにより初演。通称「切られ与三(よさ)」。長唄(ながうた)の4世芳村(よしむら)伊三郎の実話をもとにした乾坤坊良斎(けんこんぼうりょうさい)の講談を脚色。眼目の場面「源氏店(げんじだな)」は、実際の江戸の地名玄冶店(げんやだな)(現中央区日本橋人形町三丁目にあった横町名)の音をもじって字をあてたもの。
伊豆屋与三郎は出養生の木更津(きさらづ)で、貸元赤間源左衛門の妾(めかけ)お富と互いに見染めて密会するが、露顕して赤間からなぶり切りにされ、全身に34か所の刀傷(かたなきず)を受け、投身したお富は和泉屋多左衛門に助けられる。3年後、ならず者になった与三郎は、相棒の蝙蝠安とゆすりに行った源氏店で、囲い者となったお富に会う。安楽そうなお富を見て、与三郎は怒り恨むが、多左衛門がお富の兄だとわかり、その情(なさけ)で二人の仲は元に戻る。
以上が二幕目「木更津見染め」から四幕目「源氏店」までの粗筋(あらすじ)で、五幕目から九幕目にかけては、和泉屋でゆすりを働いた与三郎が島流しになり、島を抜けて伊豆屋の養父を訪ねたり、大崎の顔役観音久次の妾となったお富に三たび巡り会ったり、家来筋の久次の自害した血によって疵(きず)が治ることなどが描かれている。
幕末随一の人気役者8世団十郎にむごたらしく疵をつける嗜虐(しぎゃく)趣味が退廃期の世相を表す。大正以降、15世市村羽左衛門(うざえもん)の与三郎、6世尾上梅幸のお富、4世尾上松助の蝙蝠安という名トリオによって屈指の人気狂言となり、とくに「しがねえ恋の情(なさけ)が仇(あだ)」の名台詞(めいせりふ)で知られる「源氏店」はしばしば独立して上演されるようになった。「見染め」も洗練された場面で、この場を序幕とし、「赤間別荘」をつけて「源氏店」まで出すという方法も多い。
なお、この作の好評が「切られ与三の世界」を生み、河竹黙阿弥(もくあみ)の『処女翫(むすめごのみ)浮名横櫛』(切られお富)と『月宴升毬栗(つきのえんますのいがぐり)』(散切(ざんぎり)お富)、小山内薫(おさないかおる)の『与三郎』、岡鬼太郎の『深与三玉兎(ふけるよさつきの)横櫛』などがつくられている。
[松井俊諭]
『竹内道敬編著『歌舞伎オンステージ22 与話情浮名横櫛』(1985・白水社)』
歌舞伎狂言。世話物。9幕。3世瀬川如皐作。1853年(嘉永6)3月江戸中村座初演。配役は,与三郎を8世市川団十郎,お富を尾上梅幸(のちの4世尾上菊五郎)。通称《切られ与三郎》《切られ与三》。長唄家元4世芳村伊三郎の若いころの逸話を脚色した講釈,人情噺から取材して瀬川如皐が8世団十郎のために執筆したもの。江戸伊豆屋の若旦那与三郎は,木更津の浜で見染めた赤間源左衛門の妾お富と密会するが露見してなぶり切りに会い,全身に34ヵ所の刀傷を受け,お富も海へ飛びこむ。3年後に無頼漢になった与三郎は,相棒の蝙蝠安(こうもりやす)と強請(ゆすり)に入った源氏店(玄冶店(げんやだな))の妾宅で,死んだはずのお富に会う。主人多左衛門から金をもらって与三郎は去るが,のちに多左衛門がお富の兄であることを知る。その情で夫婦になり,複雑な因果関係がからみ,ついには与三郎の体中の傷が消えるところまで進展する。しかし,この芝居の眼目は〈しがねえ恋の情が仇〉の名ぜりふで知られる〈源氏店〉の強請場で,初演のときは与三郎が8世団十郎にうってつけだったのだが,のちに15世市村羽左衛門の与三郎,6世尾上梅幸のお富,4世尾上松助の蝙蝠安による名演技が評判となり,この狂言を大正から昭和初頭にかけての歌舞伎の代表作に仕立てあげた。小市民の世界に展開する心の葛藤にリリシズムを盛った名作にまで高めた3者の力は大きな業績として記録されねばならない。木更津海岸での見染めの場の幕切れに見せる〈羽織落とし〉の演出や,〈源氏店〉におけるお富の浮世絵のような粋(いき)な美しさ,蝙蝠安の強請,与三郎の格子の外から中へ入ってせりふにかかる技巧などに見どころが多い。15世羽左衛門の没後,11世団十郎が海老蔵時代から与三郎を演じて好評だったが,その芸質は初演の8世団十郎を想像させた。11世団十郎の没後は,その子の10世海老蔵が衣鉢をついだ。書替狂言に河竹黙阿弥作《処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)》がある。
執筆者:関山 和夫
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歌舞伎狂言。通称「切られ与三(よさ)」。3世瀬川如皐(じょこう)作。1853年(嘉永6)3月江戸中村座初演。長唄の家元4世芳村伊三郎の実話にもとづく講釈・人情噺に取材した9幕の長編。伊豆屋の養子与三郎と愛人横櫛お富のくり返される出会いと別れを軸に,与三郎の実家穂積家の人々の紛失した香炉捜しの筋が絡む。全身に切り傷を負った与三郎がお富と再会する源氏店妾宅の場が有名である。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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