日本大百科全書(ニッポニカ) 「中国菓子」の意味・わかりやすい解説
中国菓子
ちゅうごくがし
中国伝来の菓子。中国の食生活では、菓子の類は点心(てんしん)のなかに含まれる。点心とは、昼夜二度の食事(吃飯(チーフアン))のほかに二~三度補食・間食として食べる(吃点心(チーテイエンシン))ものであるが、その種類は餃子(ギョウザ)、焼売(シューマイ)、麺(めん)類から、月餅(げっぺい)、中華まんじゅう、果物およびその加工品に至るまで非常に幅が広い。これらのうち甘味のある甜点心(テイエンテイエンシン)や、果実の砂糖漬け・乾果などの京菓(チンクオ)が、いわゆる中国菓子にあたるといえよう。
[野村万千代]
歴史
「点心」の語は唐代に始まるが、点心そのものはさらに古くからあった。北魏(ほくぎ)末(6世紀)の『斉民要術(せいみんようじゅつ)』巻九には、餅(ピン)(小麦粉製品)、糉(ツオン)(粽(ちまき))、(エツ)(餡(あん)入り粽)、煮冥(チユーミン)(白玉の団子(だんご)汁)、餳(タン)(飴(あめ))、餔(ホ)(濁り飴)などがみえる。唐代には、製糖技術がインドから伝わり、甘味のある点心(菓子)は一段と発達した。これらは、奈良時代に日本にも唐菓子(とうがし)として伝えられ、平安時代には梅枝(ばいし)、桂心(けいしん)、団喜(だんき)など「八種(やくさ)の唐菓子(からくだもの)」が献立に欠かせないものとなった。なお、中国本来の唐菓子はほとんどが小麦粉製品であったが、日本では米の粉も原料として用いられた。南宋(なんそう)末期(13世紀後半)の『武林旧事』には、果物・木の実と並んで、串梨・条梨・京棗(けいそう)・番桲桃(ばんほつとう)(葡萄(ぶどう))などの乾果や、薄荷膏(はっかこう)(薄荷を水飴状に煮つめる)、楊梅(ようばい)糖、軽餳(けいとう)、乳糖澆(ぎょう)、水茘枝(すいれいし)膏、豆沙(とうさ)団子(豆餡入り)、蜜糕(みつこう)などの名がみえる。飴や砂糖菓子の類が多かったようである。元(げん)初(13世紀後半)の『居家必用事類全集』には、果食類13条として、果実の砂糖漬け、蜜煎(みつせん)法などが記されている。この時代にはバターやヨーグルトなども広く用いられ、点心の種類も増えている。
清(しん)の文人袁枚(えんばい)の『随園食単(ずいえんしょくたん)』(1792)には、点心部として55項を割いている。鰻麪(マンミエン)(うなぎうどん)、温麪(ウエンミエン)などの麺類や餃子、すいとんの類も含まれるが、菓子に類するものも多い。蓑衣餅(ソーイーピン)(かりんとう)、松餅(ソンピン)(煎餅(せんべい))、竹葉粽(チユーイエツオン)(ささで巻いた粽)、水粉湯円(シヨイフエンタンユワン)(白玉の団子)、脂油糕(チーユーカオ)(脂入りういろう)、雪花糕(シユエホワカオ)(道明寺(どうみょうじ)ういろう)、百果糕(パイクオカオ)(木の実入りういろう)、栗糕(リーカオ)(栗(くり)羊かん)、鶏豆糕(チートウカオ)(オニバスの実入り羊かん)、月餅(ユエピン)、西洋餅(シーヤンピン)などがそれである。
19世紀以降、西欧列強の進出により、食生活にも影響があり、とくに広東(カントン)地方では牛乳、乳製品などを菓子類の材料に用いることも多くなったが、伝統的な中国菓子(甜点心)の味に大きな変化はなかった。日本における洋菓子の普及・定着と大いに異なるところである。
[野村万千代]
種類
甘味のある点心(甜点心)は、小麦粉を原料とする餅(ピン)(もちではない)、おもに米の粉を原料とする蒸し菓子の糕、米の粉でつくった団子のトワンなどに分けられるが、一般に砂糖の量を抑えて甘味を控え目にし、また油脂はラードを用いているのが特徴といえよう。果物の加工品(京菓)は、乾果・砂糖漬け・飴煮などである。以下にあげるのは、家庭でもつくられるが、市販されているものも多い。
[野村万千代]
餅
小麦粉にラードを加えてつくった皮(酥皮(スーピー))にゴマやアーモンド(杏仁(シンレン))を飾って、オーブンで焼いたり油で揚げてクッキー風にしたものが酥餅(スーピン)である。杏仁餅(シンレンピン)などともいう。酥皮にリンゴなどの果物の砂糖煮やジャム、小豆餡(あずきあん)などをくるみ、油で揚げたものが酥盒子(スーホーツ)である。月餅(ユエピン)は仲秋節(旧暦8月15日)に供えるもので、日本では代表的な中国菓子月餅(げっぺい)として知られる。月をかたどった円形で中に包む餡により各種がある。小豆餡に豚脂身、干しぶどう、クルミ、黒ゴマなどを加えた豆沙(トウシャー)月餅、なつめ餡に豚脂身、ピーナッツ、干しぶどう、スイカの種などを加えた百菓(パイクオ)月餅、アヒルの塩漬け卵(鹹蛋(シエンタン))を入れた月餅などがそれである。中華まんじゅう(饅頭(マントウ))のうち餡入りのものは菓子の類である。小豆餡に豚脂身、黒ゴマなどを加えたもので豆沙饅頭とよぶ。正月に食べる芝麻餅(チーマピン)は、小麦粉または米粉からつくった皮で、ナツメ、クルミなどを入れた豆餡を包み、植物油で揚げた饅頭である。
[野村万千代]
糕
雞蛋糕(チータンカオ)は米の粉と鶏卵を原料とする蒸しカステラ、核桃糕(ホータオカオ)はクルミ入りの蒸し羊かんといったところ。年糕(ニェンカオ)は蒸しもちであるが、黒砂糖や柑橘(かんきつ)類などを搗(つ)き入れたものもある。
[野村万千代]
翡翠(フエイツオイトワン)はヨモギ入りの米の団子で、小豆餡を包んでいる。元宵(ユワンシャオ)(湯団(タントワン))は旧正月15日の元宵節に食べる団子で、なつめ餡や小豆餡に乾果などを混ぜた餡こ玉を糯米(もちごめ)の粉で包んでゆでたもの。これを油で揚げたのが炸(チヤー)元宵である。また粽子(ツオンツ)(ちまき)は屈原(くつげん)の故事にちなむもので、端午の節句には欠かせない。
[野村万千代]
京菓
ピーナッツに砂糖の衣をかけた花生(ホワシヨン)糖、サンザシの果肉を砂糖で煮た山楂(シヤンチヤー)条などがよく知られ、砂糖漬けにはハスの実を漬けた蜜餞蓮子(ミーチエンリエンツ)、オリーブの実の糖青果(タンチンクオ)、青梅の漬物もある。クリや山薬(シヤンヤオ)(ヤマイモ)、サツマイモ、ユリの根、リンゴ、ナツメ、ミカン、ブドウなどを飴煮(だ)きにした糖包児(タンパオル)類も多い。それぞれ抜糸栗子(バースーリーツ)、抜糸山薬などとよばれる。これらを串(くし)に連ね、藁(わら)つと(糖葫蘆(タンフール))にさして車で売り歩く姿が北京(ペキン)では11月になるとみられる。乾果には、スイカ、カボチャの種、アンズの核を乾燥したものなどがある。このほか、バナナ、ナシ、リンゴなどの揚げ菓子もある。適宜に切った果物に小麦粉などの衣をかけて油で揚げるもので、炸高麗香蕉(チャーカオリーシャンチヤオ)、(梨子(リーツ)、蘋果(ピンクオ))とよばれる。
[野村万千代]
『野村万千代・田中道江著『これからの中国料理』(1957・昌平社)』▽『篠田統著『中国食物史』(1974・柴田書店)』▽『袁枚著、青木正児訳註『随園食単』(岩波文庫)』