日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村一美」の意味・わかりやすい解説
中村一美
なかむらかずみ
(1956― )
画家。千葉県生まれ。落書きやマンガをよく描くなど、幼いころから絵画に強い関心を示す。高校3年生の夏に母親が自殺して強い衝撃を受け、それを契機に芸術の道に進むことを決意、東京芸術大学美術学部芸術学科に進学する。入学当初は具象絵画を描いていたが、大学1年時にジャクソン・ポロックやバーネット・ニューマンらの抽象表現主義を知って強い影響を受け、具象と抽象の間で試行錯誤を繰り返す。結局、師にあたる榎倉康二のすすめで抽象絵画への転向を決意した。1981年(昭和56)に同大を卒業後(卒業論文はニューマン論)、同大学院美術研究科絵画専攻へ進学し、1984年修了。1981年に東京の画廊パレルゴンで初個展を開催、抽象表現主義とシュポール/シュルファスの強い影響を受けた作品を発表したが、画廊主より技術的な稚拙さと問題意識の古さを指摘されてショックを受け、以後約2年間、作品発表から遠ざかる。
初個展の失敗によって、作品制作における独自な戦略の必要性という教訓を得た中村は、約2年間の沈黙の期間に、養蚕業を営んでいた母方の実家で見た桑畑やぶどう畑に着想を得た「Y型」「C型」の図柄を考案、1983~1984年ごろより精力的な連作を開始した。画面のなかに力強いY字型、C字型の構図を採用したこの作品は、自分の生い立ちに即したモチーフの選択であると同時に、ニューマンを連想させる垂直線の導入など、抽象絵画の記号や形式をも考慮した戦略的な側面も含んでおり、一見抽象表現主義風でありつつ、独自の批評性を持った絵画として高い評価を受けた。この「Y型」「C型」はその後も中村の絵画の基本的な構図となるが、抽象表現主義的な画風から脱却しようとするなど、意図的な作風の変化も試みられた。またいくつかの系列に分けられるシリーズ作品は、それぞれ「庵」「破風」「破房」といった日本風の名前を与えられ、多くのバリエーションがある。
1999年(平成11)には東京・セゾンアート・プログラムで、2002年にはいわき市立美術館で個展が開催されたほか、オマーン、スウェーデン、イタリアなど海外でも紹介されている。また多くの絵画論を発表し、著書『透過する光』(2007)を出版するなど、理論家としても知られるが、芸術至上主義と保守主義が同居した抽象表現主義の政治性を強く意識したその視点は、2001年のアメリカ同時多発テロ以降の芸術の意味と可能性を探った「傾く小屋」展(2002、東京都現代美術館)出品作においても強く出ていた。2009年より女子美術大学教授。
[暮沢剛巳]
『「中村一美――ドライヴィング・ペインティング」(『美術手帖』1995年7月号・美術出版社)』▽『「傾く小屋」(カタログ。2002・東京都現代美術館)』▽『「中村一美」(カタログ。2002・いわき市美術館)』