中村哲
なかむらてつ
[生]1946.9.15. 福岡,福岡
[没]2019.12.4. アフガニスタン,ジャラーラーバード
医師。35年以上にわたりパキスタンおよびアフガニスタンで医療,灌漑事業を通じて支援活動を行なった。中学生のときに福岡県福岡市の教会で洗礼を受け,クリスチャンとなる。1973年九州大学医学部を卒業し,神経内科医として病院に勤務。1983年日本キリスト教海外医療協力会 JOCSが中村医師のパキスタン派遣を決定したのをうけて,活動支援のための非政府組織 NGO「ペシャワール会」が発足,現地代表となる。翌 1984年にパキスタンの北西辺境州(→カイバル・パクトゥンクワ州)の州都ペシャワルの病院に着任してハンセン病の治療に従事し,1986年以降国境付近の難民キャンプに避難しているアフガニスタン難民(→アフガニスタン紛争)の一般治療も行なう。またハンセン病患者の足底穿孔症予防用のサンダルの工房を病院に開設する。1989年アフガニスタンに入り,1991年以降,山岳部の無医村に診療所を次々と開き,悪性マラリアなどの感染症の治療や対策にもあたる。1998年,ペシャワルに拠点病院を設置し,山岳部への医師の交代派遣を行なう。2000年,アフガニスタン全土の干魃をうけて,医療と並行して水源確保および緑化のための事業に乗り出す。ジャラーラーバードを拠点に飲料用井戸や地下水路,農地回復のための大規模用水路を建設し,試験農場や学校・訓練所を開設する。2019年12月4日,ジャラーラーバードで銃撃され,運転手,警備員とともに死亡。2003年マグサイサイ賞,2013年福岡アジア文化賞大賞,菊池寛賞,2018年土木学会技術賞受賞。2016年旭日双光章受章。ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS。平和医療団・日本)総院長。著書に『医者井戸を掘る』(2001),『天,共に在り アフガニスタン三十年の闘い』(2013)など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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中村 哲
ナカムラ アキラ
昭和・平成期の評論家 法政大学名誉教授;元・参院議員(社会党)。
- 生年
- 明治45(1912)年2月4日
- 没年
- 平成15(2003)年8月10日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学法学部政治学科〔昭和9年〕卒
- 学位〔年〕
- 法学博士〔昭和35年〕
- 経歴
- 東京帝国大学助手、台北帝国大学助教授、教授を経て、昭和21年法政大学教授となり30代で法学部長、43〜58年総長。学園紛争の際、自ら会見に臨むなど大学の自治を守るため尽力。平和憲法擁護にも熱心で、58年参院比例区に社会党から当選、1期務めた。また「現代用語の基礎知識」創刊以来、執筆者として長く執筆に携わった。著書は「知識階級の政治的立場」「柳田國男の思想」「わが学芸の先人たち」など多数。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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中村 哲
ナカムラ テツ
- 職業
- 俳優 バリトン歌手
- 生年月日
- 明治41年 9月19日
- 出生地
- バンクーバー(カナダ)
- 経歴
- 両親は日本からの移民。高校から声楽家を志し、音楽アカデミー卒業後、バリトン歌手として活躍。昭和15年日本に来て日活映画演技研究所に入り、16年卒業。17年東宝映画専属となり、18年「阿片戦争」から脇役として映画出演を始めた。戦後は藤原義江歌劇団の渡米公演に参加した後映画に専念、「緯度0大作戦」「レッド・サン」「モスラ」「日本沈没」などに出演。
- 没年月日
- 平成4年 8月3日 (1992年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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中村哲 なかむら-てつ
1946- 昭和後期-平成時代の医師。
昭和21年9月15日生まれ。専門は神経内科学,神経病理学,ハンセン病学,熱帯病学。大牟田労災病院などに勤務後,昭和59年パキスタンのペシャワール・ミッション病院らい病棟担当医。平成6年ペシャワール会医療サービス病院院長,ペシャワール会現地代表。15年ペシャワール会医療サービス病院総院長。同年マグサイサイ賞。医療とともに井戸掘削,灌漑用水路建設などの活動もおこなう。25年福岡アジア文化賞大賞,菊池寛賞。福岡県出身。九大卒。
中村哲 なかむら-あきら
1912-2003 昭和-平成時代の政治学者。
明治45年2月4日生まれ。台北帝大教授をへて昭和21年法大教授となり,43年総長。主権論,君主制,憲法学など幅ひろく展開し,憲法擁護の論陣をはった。44年日本政治学会理事長。58年社会党から参議院議員。平成15年8月10日死去。91歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「日本国憲法の構造」「柳田国男の思想」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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